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関ケ原の戦い。
大河ドラマファンだけではなく、戦国時代や戦国武将好きの方にとって、最大の関心な出来事の一つだと思います。
「関ケ原の戦い」の中には、様々なドラマが詰まっています。
また「関ケ原の戦い」前後の人間関係や駆け引き。それに、関ケ原の地以外で繰り広げられる、東軍側と西軍側の武将たちの戦いも興味深いポイント。
さて、私は、当初「岐阜関ケ原古戦場記念館」に行くつもりでした。それで、「岐阜関ケ原古戦場記念館」のホームページを見たのです。
なんと、面白そうな「史跡めぐり」や「古戦場めぐり」の紹介がいっぱい!!です。それで、史跡めぐりにも行く事にしました。
ということで、今回のブログでは私が行った「関ケ原古戦場跡と史跡」をご紹介します。
それはそうと、次回のブログで、「岐阜関ケ原古戦場記念館」もご案内しています!あわせてご覧頂ければとても嬉しいです。
当ブログ運営者は、大河ドラマ視聴歴40作品以上で、大河ドラマを見ることが趣味の就労ビザを専門としている行政書士です。
また、旅行の添乗員、中国語の全国通訳案内士の経験もあります。
大好きな大河ドラマ、資格を基にしている仕事、語学の経験をブログで発信しています。
関ケ原古戦場跡と史跡めぐりの情報収集:出発前
さて、「関ケ原古戦場跡と史跡めぐり」と言っても、思った以上のボリュームと充実感でした。
まず、関ケ原出発前に、初めはどこに行く!という事を決めて出発しなければ時間と体力が消耗されます。
ですので、最初は以下のサイトで情報収集する事をおすすめします!
ところで、関ケ原には歴時好きには、「関ケ原の戦い」以外にも興味深い史跡等が多数あります。
例えば、「壬申の乱」、「中山道宿場町」、「常盤御前の墓」など。歴史好きでなくても、ハイキングコースやサイクリングコースもあります。(詳細は上記のサイトをご覧ください。)
関ケ原古戦場跡と史跡めぐりのアクセス
まずは、関ケ原へのアクセスです。大まかには、関ケ原は、名古屋と京都の間にあります。
関ケ原古戦場跡と史跡めぐりへのアクセスは「岐阜関ケ原古戦場記念館」のホームページが参考になります。
「関ケ原古戦場跡と史跡めぐり」は、JR関ケ原駅か、「岐阜関ケ原古戦場記念館」から出発するのが良いと思います。

関ケ原周辺図(引用:岐阜関ケ原古戦場記念館ホームページ)
<公共交通機関でのアクセス>

電車でのアクセス((引用:岐阜関ケ原古戦場記念館ホームページ)
<車でのアクセス>

車でのアクセス((引用:岐阜関ケ原古戦場記念館ホームページ)
JR関ケ原駅情報:周辺は写真スポットが盛り沢山!

JR関ケ原駅から見た岐阜関ケ原古戦場記念館!お城のようです!
さて、私は関ケ原まで新幹線と電車で行きました。
まずは、関ケ原駅について。
JR関ケ原駅は無人駅です。
ですが、トイレは比較的きれいです。駅の雰囲気も良く、遠隔サポートで駅員さんが親切に対応してくれます。自販機や待合スペースの椅子もあります。
JR関ケ原駅は戦国ファンにとっては興奮する写真スポットが盛り沢山!です。私も狂ったように撮りまくりました。

JR関ケ原駅フォームから見えます!
それはそうと、史跡めぐりの地図に関して。JR関ケ原駅にも地図はありますが、「関ケ原合戦史跡めぐり」しかなかったような記憶です。
関ケ原駅近くの施設での史跡めぐり地図収集できる?
次に、関ケ原駅近くの施設での地図収集です。
上の情報収集のところでご紹介したサイト以外、関ケ原(現地)に行って地図を収集する事も、もちろんできます。
ですので、まずは、「岐阜関ケ原古戦場記念館」や関ケ原駅前の「関ケ原駅前観光交流館”いざ関ケ原!”」等、近くの施設で、地図入手されても良いでしょう。
「関ケ原駅前観光交流館」には「関ケ原合戦史跡めぐり」、おみやげめぐり等主要な地図はある様です。(まだ行けてない施設なので、電話確認しただけです)

天下分け目の関ケ原グルメ&おみやげめぐり:裏面にはお食事処やお土産ショップ情報あり
「岐阜関ケ原古戦場記念館」には、解説付きの関ケ原めぐり全体地図、関ケ原古戦場跡と史跡めぐりの様々な各コースの地図、おみやげめぐりなど各種資料が揃っています。
また、サイクリングマップや岐阜の別観光地の資料もあります。

関ヶ原合戦史跡めぐり:裏面には3㎞と17㎞のオススメモデルコースあり。
岐阜関ケ原古戦場記念館までの道のり:ファンにとっては嬉し過ぎる!!
ところで、関ケ原駅から岐阜関ケ原古戦場記念館までの道のりは、歩いて約10分です。
この10分も内容濃いです。
初めていくファンにとって、駅から「岐阜関ケ原古戦場記念館」までは、観るパネルが多すぎ、写真スポットも多いです。私はパネルを見ながら行きましたが、記念館到着まで約30分かかりました。

記念館への道にあるパネル:徳川家康公のパネル(家康公の史跡めぐり版)
その為、各コースの詳しい地図など入手の為だけに行くのは、ちょっとしんどいかもしれません。
ですので、最初の関ケ原訪問では、駅から「岐阜関ケ原古戦場記念館」までの道を楽しみ、記念館見学後、可能な時間を使って、近くの史跡へ行くというのがおススメです。

記念館への道にあるパネル:関ヶ原合戦陣形図
関ケ原古戦場跡と史跡めぐり周辺施設定休日は?要確認!
それでは、ここで、関ケ原古戦場跡と史跡めぐり周辺の施設定休日、その他のご留意点もご案内しておきます。
・岐阜関ケ原古戦場記念館:ご利用案内|大阪・名古屋からアクセス便利|岐阜関ケ原古戦場記念館
休館日/毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)、12/29~1/3
開館時間/9:30~17:00(入館は16:30まで)
・関ケ原駅前観光交流館”いざ関ケ原!”:関ケ原駅前観光交流館”いざ関ケ原!”|観光スポット|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガイド」
休業日:火曜日・祝祭日の翌日
営業時間 9:00~17:00(3月~11月)9:00~16:30(12月~2月)
・関ケ原町歴史民俗学習館:関ケ原町歴史民俗学習館
休館日毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日から1月3日
開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は16:30まで)
・関ケ原笹尾山交流館:関ケ原笹尾山交流館|観光スポット|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガイド」
営業時間10:00~16:00 ※12月~3月中旬までは土日祝のみ営業
定休日:火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
私は出張の都合で、どうしてもいくつかの施設の定休日と重なってしまいました。
また、史跡めぐりに時間を費やし過ぎて、営業時間内に行けないこともありました。
ですので、今のところ行っていない施設もあります。(行く事が出来たらブログでご報告します)
関ケ原古戦場跡と史跡めぐりのモデルコースは多数あり

関ケ原駅前にあるモデルコース案内の一部分
次に、モデルコースのご案内です。
「史跡めぐりのモデルコース」どんなコースがあるのでしょうか?
上記もしましたが、以下のサイトで関ケ原の様々な楽しいコースの紹介があります。
ところで、私が個人的に関心をもったのは以下のコースです。
・関ケ原合戦 行軍コース
・関ケ原七武将物語のウォーキングコース
関ケ原合戦2コース:決戦コース(ビギナー)と行軍コース(しっかり散策)
それでは、コースのご紹介です。
「関ケ原観光ガイド」と「岐阜関ケ原古戦場記念館の関ケ原古戦場・史跡巡り」のサイトから、ご案内は以下の通りです。

決戦コースにある笹尾山・石田三成陣跡
関ケ原合戦 決戦コース(距離:約3km)
気軽にまわれる!ビギナーにおすすめな道
時間:徒歩 約1時間(※おおよその移動時間です。散策時間は含んでいません)
関ケ原古戦場記念館にて関ケ原合戦の全容をご覧いただき、その後関ケ原合戦の中心地を巡ります。
関ケ原駅前観光交流館➡岐阜関ケ原古戦場記念館➡徳川家康最後陣跡➡決戦地➡笹尾山・石田三成陣跡➡笹尾山交流館出典:「関ケ原観光ガイド」関ケ原合戦決戦コース・「関ヶ原合戦史跡めぐり」裏面

行軍コースにある松尾山・小早川秀秋陣跡
関ケ原合戦 行軍コース(距離:約16~17km)
もっとしっかり歴史散策をしたい方のための道
時間:徒歩 約5~6時間(※おおよその移動時間です。散策時間は含んでいません)
関ケ原の地を西へ東へ。脚力に自信のある方向けのコースです。標高293mの松尾山登頂や、大谷吉継の墓・自害峰などの山間部も多く歩きます。関ケ原駅前観光交流館➡東首塚・松平忠吉・井伊直政陣跡 ➡田中吉政陣跡➡岐阜関ケ原古戦場記念館➡徳川家康最後陣跡➡細川忠興陣跡➡岡山(丸山)烽火場/黒田長政・竹中重門陣跡➡決戦地➡島左近陣跡笹尾山・石田三成陣跡➡島津義弘陣跡➡開戦地➡北天満山・小西行長陣跡➡南天満山・宇喜多秀家陣跡➡平塚為広碑➡大谷吉継墓・湯淺五助墓➡大谷吉継陣跡➡脇坂安治陣跡➡松尾山・小早川秀秋陣跡➡福島正則陣跡➡藤堂高虎・京極高知陣跡➡西首塚➡本多忠勝陣跡➡関ケ原駅前観光交流館出典:「関ケ原観光ガイド」関ケ原合戦行軍コース・「関ヶ原合戦史跡めぐり」裏面

関ヶ原合戦史跡めぐり:裏面には3㎞と17㎞のオススメモデルコースあり。
史跡めぐり関ケ原七武将物語のウォーキングコース

関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ
関ケ原の戦いの代表的な7人の武将(関ケ原七武将)の逸話をひもとき、古戦場巡りの7つのシンボルコースを設定しました。
・石田三成コース(約10㎞・約140分)
・大谷吉継コース(約9㎞・約140分)
・黒田長政コース(約6㎞・約90分)
・福島正則コース(約7㎞・約105分)
・小早川秀秋コース(約10㎞・約180分)
・島津義弘コース(約8㎞・約120分)
史跡めぐり関ケ原七武将①徳川家康コース

岐阜関ケ原古戦場記念館までの路上にある徳川家康公のパネル
まずは、徳川家康コースからです。
徳川家康コース(コース全体:約8㎞・約120分)
徳川家康最初陣地→最後陣地
思わぬ西軍の善戦に、本陣を桃配山から主戦場へ移動した家康の狙いとは?関ケ原合戦全体に散りばめられた策略と勝負を決めた本陣の移動に込めた、天下統一への家康の強い意志を感じるコース。最初に布陣した桃配山から、戦況を好転させるために移動した陣場野まで、家康進軍の足跡をたどります。
中距離コースです。
岐阜関ケ原古戦場記念館➡松平忠吉・井伊直政陣跡 ➡東首塚➡本多忠勝陣跡➡徳川家康最初陣地➡決戦地➡石田三成陣跡➡徳川家康最後陣地➡岐阜関ケ原古戦場記念館引用:徳川家康コース|古戦場・史跡巡り |岐阜関ケ原古戦場記念館サイト・徳川家康ウオーキングガイドマップ
さて、私は「徳川家康コース」にある地点はすべて歩きました。歩き慣れている方や歩くのが好きな方は多分大丈夫なコースです。
桃配山から笹尾山は、ちょっとしんどいかもしれませんが、家康公と三成の陣の距離を楽しみながら歩けば楽しかったです。
上記の画像の「徳川家康ウオーキングガイドマップ」を見ながら散策すれば問題ないと思います。
史跡めぐり関ケ原七武将②石田三成コース

岐阜関ケ原古戦場記念館までの路上にある石田三成のパネル
次は、石田三成のコースです。
・石田三成コース
石田三成コース(コース全体:約10㎞・約140分)
笹尾山・石田三成陣地
豊臣秀吉の参謀として、天下統一事業を支えた石田三成。頭脳明晰、誠実、そして人を寄せ付けない合理主義・長所短所混在の人間、石田三成が豊臣家死守という義理に生きた人生の物語をたどるコース。合戦時に笹尾山から石田三成が見た景色が見える場所をはじめ最大の激戦地となった決戦地、盟友である大谷吉継墓などを巡ります。山中を通るため、体力が必要なコースです。
岐阜関ケ原古戦場記念館➡田中吉政陣跡➡徳川家康最後陣跡➡島津義弘陣跡➡大谷吉継墓➡大谷吉継陣跡➡石田三成陣跡➡決戦地➡黒田長政・竹中重門陣跡➡細川忠興陣跡➡岐阜関ケ原古戦場記念館引用:石田三成コース|古戦場・史跡巡り |岐阜関ケ原古戦場記念館サイト・石田三成ウオーキングガイドマップ
ところで、「石田三成のコース」は、「田中吉政陣跡」、「島津義弘陣跡」以外はすべてまわりました。
このコースは、恐らく「小早川秀秋コース」の次くらいに厳しいコースだと思われます。歩くのに慣れている方、ハイキングや登山がご趣味の方は問題ありません。
ですが、そうでない方は、ちょっとしんどいかもしれません。「石田三成ウオーキングガイドマップ」を参考に行けば良いと思います。
「クマ注意の看板」があり、池の周り、山の中を通ります。ちょっとしたハイキングコースです。
史跡めぐり関ケ原七武将③大谷吉継コース

岐阜関ケ原古戦場記念館までの路上にある大谷吉継のパネル
続いては、大谷吉継コース。
大谷吉継コース(コース全体:約9㎞・約140分)
大谷吉継陣跡・墓
三成との友情を貫くため、不利を承知で、業病を押して西軍に参戦する覚悟とはなんだったのか。三成との出会いから、関ケ原での壮絶な散り際までを振り返るコース。病身にもかかわらず参戦した大谷吉継が布陣した地や盟友・石田三成の陣跡などを巡ります。
山中を通る軽トレッキングコースです。
岐阜関ケ原古戦場記念館➡西首塚➡藤堂高虎・京極高知陣跡➡松尾山眺望地➡大谷吉継陣跡➡大谷吉継墓➡平塚為広碑➡宇喜多秀家陣跡➡石田三成陣跡➡岐阜関ケ原古戦場記念館引用:大谷吉継コース|古戦場・史跡巡り |岐阜関ケ原古戦場記念館サイト・大谷吉継ウオーキングガイドマップ
私は、このコースの「藤堂高虎・京極高知陣跡」、「松尾山眺望地」、「宇喜多秀家陣跡」には行っていません。
ですが、全体的には行った地点が入っているのでその経験から言うと、しんどいコースの部類だと思います。
距離があるのと、笹尾山の山道と大谷吉継のお墓付近の山道が厳しいかもしれません。
大谷吉継のお墓へは、山道を通る方の道のりがしんどいですが近く感じました。
史跡めぐり関ケ原七武将④黒田長政コース

岐阜関ケ原古戦場記念館までの路上にある黒田長政のパネル
さて、次は、黒田長政コースです。
黒田長政コース(コース全体:約6㎞・約90分)
岡山烽火場・黒田長政陣跡
早くから家康の信頼を得て外交に尽くし、小山評定から小早川秀秋の調略、強敵島左近撃破まで、その策略で東軍を勝利に導いた。関ケ原合戦の表・裏の両舞台での長政の戦略と活躍を振り返るコース。
竹中重門と布陣した岡山をはじめ、激闘を繰り広げた石田三成・島左近の陣跡を巡ります。
最も気軽に歩けるコースです。
岐阜関ケ原古戦場記念館➡岡山(丸山)烽火場/黒田長政・竹中重門陣跡➡決戦地➡島左近陣跡➡石田三成陣跡➡小西行長陣跡➡開戦地➡岐阜関ケ原古戦場記念館引用:黒田長政コース|古戦場・史跡巡り |岐阜関ケ原古戦場記念館サイト・黒田長政ウオーキングガイドマップ
「黒田長政コース」は、「小西行長陣跡」、「開戦地」以外、行きました。距離が約6㎞と短めです。
ですが、岡山(丸山)烽火場/黒田長政・竹中重門陣跡の辺りと、島左近陣跡笹尾山・石田三成陣跡の辺りは、山道になっています。
雨上がりの日等に行くと、靴などドロドロになるような道です。ご注意ください。
事前に「ウオーキングガイドマップ」を入手しておかれる事おススメします!
史跡めぐり関ケ原七武将⑤福島正則コース

岐阜関ケ原古戦場記念館までの路上にある福島正則のパネル
そして、福島正則コース。
福島正則コース(コース全体:約7㎞・約105分)
福島正則陣跡/(開戦地)
幼少から豊臣秀吉に仕える福島正則が東軍についたのは自ら家康に近づき、豊臣秀頼を守ろうとしたのでは?!正則の豊臣家存続への強い意志に思いを馳せるコース。豊臣恩顧でもある石田三成と対立。東軍先鋒として参戦するも、松平・井伊隊に抜け駆けされた福島正則。開戦直後に攻めた宇喜多秀家陣跡などを巡ります。
比較的平坦なコースです。
岐阜関ケ原古戦場記念館➡松平忠吉・井伊直政陣跡 ➡藤堂高虎・京極高知陣跡➡福島正則陣跡➡宇喜多秀家陣跡➡開戦地➡石田三成陣跡➡徳川家康最後陣地➡岐阜関ケ原古戦場記念館引用:福島正則コース|古戦場・史跡巡り |岐阜関ケ原古戦場記念館サイト・福島正則ウオーキングガイドマップ
このコースは、行っていない場所が多いので分からないです。
ただ、行った場所、「松平忠吉・井伊直政陣跡」、「福島正則陣跡」、「徳川家康最後陣地」は道も平坦で問題ないと思います。
「石田三成陣跡」は、ちょっと山道があってしんどいかもしれません。
史跡めぐり関ケ原七武将⑥小早川秀秋コース

岐阜関ケ原古戦場記念館までの路上にある小早川秀秋のパネル
ところで、小早川秀秋コースです。
小早川秀秋コース(コース全体:約10㎞・約180分)
松尾山・小早川秀秋陣跡
三成と家康の間を揺れ動く若き武将。自分の決断で、世の中が動く。最後まで悩んだ秀秋の背中を押したものはなんだったのか。まさに天下を分けた秀秋の心の動きを読み解くコース。西軍か、それとも徳川家康に寝返るか。小早川秀秋が悩み、決断した松尾山を登頂します。
高低差約190mで最も体力が必要なコースです。
岐阜関ケ原古戦場記念館➡東首塚➡福島正則陣跡➡小早川秀秋陣跡➡脇坂安治陣跡➡開戦地➡徳川家康最後陣地➡岐阜関ケ原古戦場記念館引用:小早川秀秋コース|古戦場・史跡巡り |岐阜関ケ原古戦場記念館サイト・小早川秀秋ウオーキングガイドマップ
このコース、驚きました!松尾山の小早川秀秋陣跡へは、「ウオーキング」ではなく「登山」です。登山口には、杖まで置いてありました。
詳しくは後ほどお伝えしたいですが、絶対の注意事項は4月~10月、20℃以上ある日は避ける事です。
そして、できれば一人で行かない方が良いです!
ところで、私は、このコース「開戦地」以外行きました。脇坂安治陣跡を先に行ってから松尾山の小早川秀秋陣跡まで登りました。
25℃あって、非常に、かなり、きつかったです。
史跡めぐり関ケ原七武将⑦島津義弘コース

岐阜関ケ原古戦場記念館までの路上にある島津義弘のパネル
それでは、最後のコース。島津義弘コースです。
島津義弘コース(コース全体:約8㎞・約120分)
島津義弘陣跡
伝説の敵中突破劇を繰り広げ、九死に一生を得た義弘。そして島津家は江戸時代を生き延び、幕末維新で、徳川を倒すことにつながっていく。命をつないだ義弘の人生と島津家の強さを実感するコース。
島津が着陣した陣跡から、敗戦後に島津勢が敵中突破した烏頭坂までの道程をたどります。
平坦ですが、中距離なので体力が必要です。
岐阜関ケ原古戦場記念館➡決戦地➡薩摩池➡島津義弘陣跡➡徳川家康最後陣地➡松平忠吉・井伊直政陣跡 ➡本多忠勝陣跡➡烏頭坂・島津豊久碑➡岐阜関ケ原古戦場記念館引用:島津義弘コース|古戦場・史跡巡り |岐阜関ケ原古戦場記念館サイト・島津義弘ウオーキングガイドマップ
このコースの「薩摩池」、「島津義弘陣跡」、「烏頭坂・島津豊久碑」は行っていません。行っていない場所が多いので、分かりません。
ですが、それ以外の地点は問題なくいける場所だと思います。
関ケ原古戦場跡と史跡めぐり:私が行った古戦場・史跡・陣跡など
さて、ここからは、実際私が行った古戦場・史跡・陣跡などをご紹介します。
私は、3月中旬と4月中旬の2回に分けて行きました。
上記の9つのモデルコースを参考に、自分の好きな武将や興味があった武将の陣跡、史跡、古戦場をピックアップしました。その他、行きたかった史跡もプラスしました。
行ったところは以下の【MEMO】の通りです。
◆1回目(3月中旬)
東首塚、松平忠吉・井伊直政陣跡、徳川家康最後陣跡、細川忠興陣跡、岡山(丸山)烽火場/黒田長政・竹中重門陣跡、決戦地、島左近陣跡、笹尾山・石田三成陣跡、本多忠勝陣跡
◆2回目(4月中旬)
平塚為広碑、大谷吉継墓・湯淺五助墓、大谷吉継陣跡、脇坂安治陣跡、松尾山・小早川秀秋陣跡、福島正則陣跡、西首塚、桃配山・徳川家康最初陣地、山内一豊陣跡
関ケ原古戦場跡と史跡めぐり:1回目

入手おススメ!!関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ
本多忠勝陣跡:「関ケ原駅前観光交流館」から約10分
さて、最初は、「本多忠勝陣跡」に行きました。

本多忠勝陣跡
「本多忠勝陣跡」だけが線路の反対側にあったので、先に行ったのです。
家康公ファンの私は、徳川四天王の本多忠勝と井伊直政は押さえなければなりません!
「関ケ原駅前観光交流館」から約10分くらいで行けます。ただ、民家の中にあるので分かりにくいかもしれません。
でも、以下のように、所々立札があります。
東首塚、松平忠吉・井伊直政陣跡、徳川家康最後陣跡:分かり易く、行き易い
次に、「東首塚、松平忠吉・井伊直政陣跡」に行きました。

東首塚
東首塚:
合戦の翌日、勝者となった徳川家康は、戦いで破壊された神社の修復や、首実検に供されたり、戦場に残されたおびただしい遺体の埋葬を竹中重門に命じました。重門は、遺体を埋葬し、東西2カ所に首塚を造営しました。朱色の門を抜けた敷地内にはシイの古木のみが残っています。引用:「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ」徳川家康コース
徳川四天王の井伊直政!大河ドラマでもよく登場する人物です。
2017年「おんな城主直虎」の井伊直政(菅田将暉)、すごく良かったですよね!
松平忠吉は、井伊直政の娘婿。井伊直政は徳川家の為、そして自分の娘婿忠吉に先陣させたいので、関ケ原の戦の最初に抜け駆けします。

松平忠吉・井伊直政陣跡
ところで、東首塚、松平忠吉・井伊直政陣跡は、ほぼ同じ場所にあります。腰掛椅子もありますので、ドリンクを飲んで休憩しました。
そして、徳川家康最後陣跡までは、散策や撮影しながら約10分でした。
決戦地、島左近陣跡、笹尾山・石田三成陣跡:関ケ原古戦場の基本コース
続いては、笹尾山方面です。
関ケ原の歩き方「決戦コース」
JR関ケ原駅から笹尾山を結ぶコースは関ケ原古戦場の基本コース。歩いても片道約30分、施設見学も含めても3時間あれば往復できます。引用:「関ヶ原合戦ガイドマップ 決戦編」岐阜県
私は、徳川家康最後陣跡から笹尾山めがけて道路沿いを進みました。
「関ヶ原七武将ウオーキングガイドマップ石田三成編」を参考に、信号を目印に行けば良いと思います。
徳川家康最後陣跡から決戦地までは、約25分かかりました。決戦地から笹尾山石田三成陣跡(山頂)までは、約10分です。
笹尾山・石田三成陣跡
陣地を敵の攻撃から守るための柵である馬防柵が復元されています。引用:「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ」石田三成編

笹尾山への道:山道注意!の方

笹尾山への道:階段の方

笹尾山:サル出没注意札

笹尾山からの眺め
山頂には、下の画像にある机や椅子、東屋などもあります。

笹尾山・石田三成陣跡
休憩やお弁当を食べるのには最高です!!

石田三成陣跡にある東屋
笹尾山・石田三成陣跡
山頂に登ると、音声ガイドもある見晴台からは、関ケ原に布陣した東軍を正面から見下ろす形で、関ケ原古戦場が一望できます。引用(抜粋):「関ヶ原合戦ガイドマップ 決戦編」岐阜県

石田三成陣地
笹尾山・石田三成陣跡から岡山(丸山)烽火場/黒田長政・竹中重門陣跡:自然を満喫!
さて、石田三成陣跡から決戦地へ。そして、岡山(丸山)烽火場の黒田長政・竹中重門陣跡へ。この行程、方向音痴の私は40分くらいかかりました。
「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ石田三成編」によれば、30分もあれば到着らしいのですが。
笹尾山には「サル注意の看板」がありましたが、丸山には「クマ注意の看板」がありました。池の周りや山の中を通ります。
ですが、上記のように矢印があります。方向音痴ではない方なら大丈夫でしょう。
このコースは自然を満喫できます!

岡山(丸山)烽火場:クマ出没注意札
以下の画像では分かりにくいですが、途中、ちょっとしんどい目の山道もあります。でも、池の周りなど歩いていると気持ちよく、ハイキングに来ている団体さんともすれ違いました。
ちょっとした丘陵地にある、岡山(丸山)烽火場、黒田長政・竹中重門陣跡に無事到着しました。

岡山(丸山)烽火場/黒田長政・竹中重門陣跡
細川忠興陣跡:分かり易い場所にある
続いて、細川忠興陣跡です。
細川忠興陣跡は、「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ石田三成編」や「関ケ原合戦史跡めぐり」等を参考にいけば問題なく行けるでしょう。
目印は、「丸山」の信号、ローソン、JAです。
岡山(丸山)烽火場、黒田長政・竹中重門陣跡からは、散策や写真を撮りながら行って約20分で行けました。

細川忠興陣所跡
関ケ原古戦場跡と史跡めぐり:2回目

西首塚入口辺り
次に、4月中旬の2回目に行った史跡めぐりについて、です。
1回目に行けなかった史跡を出来るだけ多く行きたかったので、できれば、暑い日は避けたかったのですが、予定が立たず暑い日に行くことになりました。
この日は25℃以上に気温が上がって、まさに、「厳しい行軍」でした。
朝8時半位に関ケ原駅に到着。
絶対に、岐阜関ケ原古戦場記念館に行きたかったので、15時半までに下記の史跡に行こうと思いました。結局、約7時間、徒歩で以下の順番通り史跡めぐりをしました。
桃配山・徳川家康最初陣地:JR関ケ原駅から約25分、分かり易く行き易い
まずは、JR関ケ原駅から、徳川家康公の最初の陣地桃配山めがけ、はりきって出発!
国道沿いに桃配山へ。国道沿いには、ドラッグストアやホームセンターがあるので、トイレや飲料の心配はありません。
ところで、「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ徳川家康編」にありますが、家康公は国道21号(旧中山道)沿いを進軍したとの事です。

徳川家康最初陣地目印
JR関ケ原駅出発の約25分後に「徳川家康最初陣地」に到着!

桃配山徳川家康最初陣地
意外にも高い山でなかったので驚きました。写真からは分かりにくいかもしれませんが、下から見ても「ちょっとした丘」です。

徳川家康最初陣地を下の国道沿いから撮影
しかし、桃配山から関ケ原方面の見晴らしは良かったです。

桃配山からの眺め
山内一豊陣跡:桃配山・徳川家康最初陣地から約5分で行ける
次に、家康公の最初の陣地から近くらしい山内一豊陣跡へ。
家康公の最初の陣地から「一ツ軒」の信号まで戻ります。家康公の最初の陣地とは道路挟んだ反対側へ。少し歩いたところに「山内一豊陣跡」があります。
家康公の最初の陣地から、5,6分のところです。

山内一豊陣跡
後述しますが、私は、2006年大河ドラマ「功名が辻」の千代と山内一豊がとても好きで、特に関ケ原前の一豊の見せ場が好きなのです。
上川隆也さん演じる山内一豊の、好きな場面をご紹介した別ブログもあります。ご覧頂ければ嬉しいです。
西首塚:武将の旗がたくさんあり。発見し易い!
ところで、「山内一豊陣跡」から西方向へ歩き、約40分後、西首塚を発見!
信号を目印に、「福島正則陣跡」を探していました。すると、分かり易い感じで、武将の旗がたくさんあって、発見したのです。

西首塚の旗
西首塚
関ケ原一帯を領していた竹中重門は、戦いの翌日、戦いによって壊れた神社の修復や戦死者の埋葬を家康に命じられ、東西2ヶ所に首塚を造営しました。寛政5(1793)年に敷地内に建立された観音堂には、馬頭観音や千手観音が安置されています。引用:「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ」大谷吉継編

西首塚
福島正則陣跡:目印も多く行き易い場所
続いて、「福島正則陣跡」です。
「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ・福島正則編」を参考にすれば、目印も多く問題なく行けるでしょう。
「福島正則陣跡」は、「西首塚」から約15分程度で到着すると思います。

福島正則陣跡
福島正則陣跡
豊臣恩顧でありながら、石田三成と対立関係にあったため東軍として参戦。美濃へ侵攻し竹ヶ鼻城(羽島市)や岐阜城(岐阜市)を攻め落としました。合戦当日、松平忠吉・井伊直政に抜け駆けされ、先陣の功を許してしまうと、直後に宇喜多秀家隊に攻め掛かりました。福島隊の後方には藤堂・京極隊が布陣し、福島隊を指示する役割が期待されていました。引用:「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ」福島正則編
ところで、「福島正則陣跡」から「脇坂安治陣跡」へ向かう途中、井上神社の近くにトイレがありました。トイレはきれいで最新のウオッシュレットです。
ここに着くまでも相当汗をかいたので、タオルで身体を拭くほどでした。
ちょっと休憩できる椅子もあるので、水分補給をして出発。
小早川秀秋陣跡まで、トイレは見かけなかったと思いますので、ここでトイレに行っておくのが無難です。
脇坂安治陣跡:新幹線と東名高速道路の下をくぐり山方向へ
さて、「関ケ原合戦史跡めぐり」の地図上で「遠方」のイメージがする「脇坂安治陣跡」へ。
「福島正則陣跡」からは、新幹線と東名高速道路の下をくぐるイメージで山の方へ歩いて行きました。
「福島正則陣跡」から「脇坂安治陣跡」までは約50分でした。
上記しましたが、井上神社近辺で、トイレに寄ったり、休憩したりしましたので50分かかったのです。
「脇坂安治陣跡」への目印もありましたので問題なく行けると思います。

脇坂安治陣跡への目印

「輪違紋」の旗が目印
脇坂安治陣跡
静ヶ岳七本槍の1人。関ケ原合戦前から東軍・藤堂高虎を通じ内応していましたが、西軍として松尾山の麓に布陣。小早川隊が寝返ると、脇坂隊も寝返り、東軍の勝利に貢献しました。引用(抜粋):「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ」小早川秀秋編

脇坂安治陣跡
関ケ原史跡めぐりで個人的に行きたかった3ヶ所
それはそうと、関ケ原史跡めぐりで個人的に行きたかったのは以下の3ヶ所でした。
② 山内一豊陣跡
③ 脇坂安治陣跡
まず、自分の好きな歴史上の人物が徳川家康公と大石内蔵助様です。それで、「桃配山・徳川家康最初陣地」の場所が見たい!と思いました。
それに、大海人皇子(天武天皇)も好きなので、桃配山にまつわる壬申の乱の話も興味深く感じました。
また、果物で一番好きなのが桃で、これらの理由の為、桃配山に行きたかったのです。

不破関資料館近くにあった壬申の乱の旗
桃配山・徳川家康最初陣地
関ケ原の東、東山道(中山道)沿いにある小山が桃配山で、徳川家康ははじめこの場所に本陣を構えました。壬申の乱(672年)で大海人皇子が桃を配り勝利したという逸話が残る縁起の良い地とされます。現在の桃配山は国道21号で分断された形になっていますが、国道沿いにある陣跡は関ケ原方面の眺望がよく、天下の覇権を目前にして関ヶ原合戦に臨む徳川家康の気分に浸ることができます。引用:「関ヶ原合戦ガイドマップ 決戦編」岐阜県
次は、「山内一豊陣跡」です。
私は、2006年大河ドラマ「功名が辻」の山内一豊がとても好きです。特に、関ケ原の戦い前、家康に忠誠心示す場面が印象的です。
ですので、今回、「山内一豊陣跡」には絶対に行きたいと思いました。以下のブログでもご紹介しています。ご覧頂ければ嬉しいです。

山内一豊陣の旗
さて、最後は、「脇坂安治陣跡」です。
私事で大変恐縮ですが。亡くなった祖父が小学生の私に、「うちの本家の先祖は、脇坂淡路の守だ」と言いました。
「赤穂事件の時の赤穂城受け取りの正使を務めた、播磨龍野藩主の脇坂安照だ。」とのこと。昔から家には「輪違い紋」が、額縁に入れられて飾ってありました。

脇坂安治の旗
「うそー!」って思いましたが、もし、本当なら大石内蔵助様と赤穂浪士ファンの私はとても嬉しいです。
ですが、関ケ原での東軍への寝返りを思うと、ちょっと複雑。しかし、東軍の勝利に貢献したと考えれば、良かったのかな、とも思います。
というわけで、今回の史跡めぐりでは行きたかった3ヶ所に行けて大満足でした!
小早川秀秋陣跡:最初はハイキングのようなワクワク感!
ところで、いよいよ、笹尾山の小早川秀秋陣跡です!
脇坂安治陣跡から、笹尾山登山口まで約15分ほどです。目印が多いのですぐ分かります。

小早川秀秋陣跡への案内の立札

小早川秀秋陣跡への目印旗
「関ケ原の戦い」で徳川家康公と石田三成を最大に悩ませた小早川秀秋。史跡めぐりでも、訪れるファンや観光客を苦しめるかもしれない?くらいのすごい山道でした。
ですが、初めから、
かなりの急勾配がありしんどいと覚悟していれば、
暑くなければ(当日多分25℃以上あったと思います)、
体力のある、朝一に登っていれば!
こんなにしんどく感じなかったと思います。

松尾山登山口の駐車場
車で関ケ原まで来られた方は、松尾山の登山口まで車で行く方が良いと思います。
私も、最初はまだ元気だったのです。
今日は、朝からJR関ケ原から桃配山へ、そして脇坂安治陣跡まで、4時間位歩きました。この時点では、まだ大丈夫でした。

松尾山への山道:自生の椿、小川も流れている
松尾山の山道は、小川や自生している椿やつつじと思われる花もきれいで、とても楽しかったのです。
ハイキングのようなワクワク感もありました。
小早川秀秋陣跡:最後の急勾配が特にキツイ、でも登山の達成感!
ですが、うっそうとした山道はだんだん険しくなり、急勾配の階段の一段が高すぎて、「え?もしかして、登山?」と思い始めました。
道で行きかう、何組かの史跡めぐりの人の中には、クマ対策の鈴を持っている方もいました。
よく見ると、何と!ほとんどの方が杖を持っていました!
もうすぐ山頂っていう地点、最後の急勾配が特にキツイのです!

小早川秀秋陣跡の旗
しかし、松尾山の登山口から約40分後、何とか笹尾山の山頂に到着!

松尾山の小早川秀秋陣跡

小早川秀秋陣跡
滝のような汗をかき、途中、2回くらい休憩しながらでしたが、到着した時はすごく気持ち良かったです!
山頂からの景色も最高!!
登山したような達成感あり!
もし、お弁当を食べるなら松尾山の山頂で食べるのが良いと思います。

松尾山からの眺め
ここからなら、関ケ原が一望でき、合戦の状況もよく分かると思いました。
ところで、松尾山の小早川秀秋陣跡は、やはり、3月か11月をおススメします。
大谷吉継墓・湯淺五助墓、大谷吉継陣跡:木漏れ日がもれる山中にあり
さて、最後のご紹介は、大谷吉継関連の史跡です。
小早川秀秋陣跡から「不破関資料館」辺りまで戻り、道路沿いを歩きました。私は、信号を目印に「平塚為広碑」から上っていきました。
小早川秀秋陣跡で体力を使い果たしたせいか?大谷吉継のお墓まですごく長く感じました。それに、けっこう山道です。
「不破関資料館」から約25分で到着しました。
大谷吉継墓
最期を悟った大谷吉継は自らの首を隠すように家臣・湯浅五助に命じ、自刃。首を隠した直後、藤堂高虎の甥・高刑に見つかった五助は、自らの首と引換に吉継の首の秘匿を懇願したといいます。吉継の墓は藤堂家により建立されたと伝えられています。引用:「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ」大谷吉継コース
大谷吉継陣跡
小早川秀秋の不穏な動きを警戒した大谷吉継は、東山道(中山道)を見下ろし、松尾山を正面に望む山中に布陣。病のため輿に乗って部隊を指揮しますが、小早川秀秋や脇坂安治らに三方から攻められ、隊は壊滅しました。引用:「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ」大谷吉継コース

大谷吉継陣跡(大谷吉隆)
関ケ原古戦場跡と史跡めぐり:ご注意点
それでは、以下に「関ケ原古戦場跡と史跡めぐりのご注意点」もご案内します。

山道にはご注意ください。
・まず、初めはどこに行く!という事を決めて関ケ原へ出発した方が良いでしょう。
(でなければ時間がもったいなく、体力も消耗されます。)
・できれば夏場に山登系や丘陵地の史跡めぐりは避けた方が良いと思います。
(松尾山、笹尾山、大谷吉継のお墓、岡山(丸山)烽火場など)
・上記の山登系や丘陵地の史跡めぐりへは飲料を準備して水分補給しながら行ってください。
(飲料の持参は体力消耗につながる為自販機やコンビニの場所を確認し調達しても良い)
・はき慣れた歩きやすい靴で出かけましょう。(汗拭きタオルは重宝。雨具はあれば安心)

岡山(丸山)烽火場:クマ出没注意札
・上記の山登系や丘陵地の史跡めぐりへは一人で行かない方が良いです。
(「クマ注意」とか「サル注意」とかの山道、足場が悪い所もあるのでご注意を!)
・予め、トイレの場所を確認しておけば安心です。
関ケ原の戦いが出てくる大河ドラマ15作品
では、ここで、関ケ原の戦いが出てくる大河ドラマもご紹介しておきます。
1971年「春の坂道」主人公:柳生但馬守宗矩(萬屋錦之介)
家康:山村聡
三成:中村敦夫1978年「黄金の日日」主人公:呂宋助左衛門(松本白鸚)
家康:児玉清
三成:近藤正臣1981年「おんな太閤記」主人公:ねね(佐久間良子)
家康:フランキー堺
三成:宅麻伸1983年「徳川家康」主人公:徳川家康(滝田栄)
家康:滝田栄
三成:鹿賀丈史1987年「独眼竜政宗」主人公:伊達政宗(渡辺謙)
家康:津川雅彦
三成:奥田瑛二1989年「春日局」主人公:春日局(大原麗子)
家康:丹波哲郎
三成:伊武雅刀2000年「葵 徳川三代」
主人公:徳川家康・秀忠・家光(津川雅彦・西田敏行・尾上辰之助)
家康:津川雅彦
三成:江守徹2002年「利家とまつ~加賀百万石物語~」
主人公:前田利家・まつ(唐沢寿明・松嶋菜々子)
家康:高嶋政宏
三成:原田龍二2003年「武蔵 MUSASHI」主人公:宮本武蔵(市川海老蔵)
家康:(登場せず)
三成:(登場せず)2006年「功名が辻」
主人公:山内一豊・千代(上川隆也・仲間由紀恵)
家康:西田敏行
三成:中村橋之助2009年「天地人」主人公:直江兼続(妻夫木聡)
家康:松方弘樹
三成:小栗旬2011年「江 ~姫たちの戦国~」主人公:江(上野樹里)
家康:北大路欣也
三成:萩原聖人2014年「軍師官兵衛」主人公:黒田官兵衛(岡田准一)
家康:寺尾聰
三成:田中圭2016年「真田丸」主人公:真田信繫(幸村:堺雅人)
家康:内野聖陽
三成:山本耕史2023年「どうする家康」主人公:徳川家康(松本潤)
家康:松本潤
三成:中村七之助出典:「NHKアーカイブス 放送史」・「プレイバックNHK大河ドラマ時代・人物・トピックス別徹底ガイド」 NHK出版
ところで、上記の15作品は、「春の坂道」を除き、U-NEXTで全話一気に観ることができます!
「春の坂道」も最終回(52回)のみ視聴できます。
U-NEXTは無料トライアル実施中!です。1ヶ月無料で観られますので、各大河ドラマの「関ケ原の戦い」の回を見比べることもできます!
さて、私のおすすめの「関ケ原」見比べですが。
まず、教科書的に「葵 徳川三代」を観ました。そして、東北の状況を「独眼竜政宗」、「天地人」で観ました。
「天地人」では、三成や上杉景勝等「関ケ原」の敗者側のドラマに惹きつけられます。
「天地人」は、全体的に緊迫する戦シーンや戦前後に感動の展開があります。特に「本能寺の変」、「関ケ原の戦い」の前後は手に汗握ります!

黒田長政家紋
次に、「軍師官兵衛」で、九州の黒田如水の「天下取り」の進軍を楽しみました。
それはそうと、「軍師官兵衛」では黒田長政が吉川・小早川を調略し徳川勝利に貢献します。
「功名が辻」では千代が山内一豊に助言し徳川家康を勝利へ導く、等
どちらの展開もドキドキが止まりません!

小早川秀秋家紋
ところで、「小早川秀秋」の寝返りまでの物語が、通常と少し違う描かれ方をされているのが、「春日局」です。
「関ヶ原」のドラマでは、家康公と三成以外の重要人物はやはり、小早川秀秋ですよね。
その他、浅井三姉妹が東西に分かれてしまう「江 ~姫たちの戦国~」では、次女の初の活躍が印象的でした。
浅井三姉妹の関ケ原合戦については、別ブログでもご紹介しています。ご覧頂ければ嬉しいです。
関ケ原古戦場跡と史跡めぐり:まとめ
さて、今回のブログでは、私が体験した関ケ原の「古戦場・史跡めぐり」を紹介しました。
まず、史跡めぐり前の情報取集や関ケ原までのアクセスをご案内しました。
それから、JR関ケ原駅周辺の写真スポットやファンにとっては嬉し過ぎるスポットもご紹介。
次に、ご紹介したのは、関ケ原古戦場跡と史跡めぐりのモデルコースです。
私のおススメのウオーキングモデルコースをご案内しましたが、その中から自分が体験した史跡めぐり等もお話しました。

関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ
ところで、関ケ原には、古戦場跡と史跡めぐりの他にも、歴史好き以外の方でも楽しめるサイクリングやハイキングコースもありましたね。
さて、最後には、関ケ原の戦いが出てくる大河ドラマ15作品もご案内しています。
関ケ原の古戦場や史跡めぐりの後は、きっと大河ドラマで「関ケ原の戦い」が見たくなります!
大河ドラマを観ながら史跡めぐりの地図やパンフレット等を再確認し、是非楽しんで下さいね!
このブログが読んで下さった方のお役に立てましたら幸いです。
関ケ原古戦場跡と史跡めぐりブログ:出典と引用の資料
・画像の戦国武将イラスト:長野剛氏(岐阜関ケ原古戦場記念館より)
・「NHK大河ドラマ大全 50作品徹底ガイド」 NHK出版
・「プレイバックNHK大河ドラマ時代・人物・トピックス別徹底ガイド」 NHK出版
・「NHKアーカイブス 放送史」
・「関ケ原七武将ウオーキングガイドマップ」岐阜関ケ原古戦場記念館
徳川家康編 石田三成編 小早川秀秋編 大谷吉継編 福島正則編 黒田長政編 島津義弘編
・「岐阜県関ケ原町 松尾山城散策マップ」関ケ原地域振興課
・「関ヶ原合戦ガイドマップ 決戦編」岐阜県
・関ヶ原合戦史跡めぐりマップ
・天下分け目の関ケ原グルメ&おみやげめぐりマップ
・岐阜関ケ原古戦場記念館ホームページ
・関ケ原観光ガイドホームページ(特集・モデルコース)関ケ原観光協会事務局