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西田敏行さんが10月17日に急逝されました。突然の訃報に接し、とてもショックを受けました。西田敏行さんは大河ドラマ大ファンの私にとって、特別な俳優さんでした。
西田敏行さんにはずっと、大河ドラマに出演して頂きたかったです。いまだに悲しく寂しいです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
今回のブログでは、西田敏行さんを偲んで、西田さんが豊臣秀吉を演じた、1981年大河ドラマ「おんな太閤記」をご紹介します。
昔の作品ですが、何度見ても面白く次が見たくなる名作です!
「おんな太閤記」は豊臣秀吉の妻ねねが主人公。夫婦、嫁姑、親子、友人、家臣がホームドラマ調で描かれます。
ところで、西田さん出演の大河ドラマと、西田さんが演じられた中で私が好きな役柄を、以下のブログでご紹介しました。
それはそうと、2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公豊臣秀長を「おんな太閤記」では、中村雅俊さんが演じています。とても素敵な秀長です。
「豊臣兄弟!」放送前にご覧になると、より一層「豊臣兄弟!」が楽しみになります。
当ブログ運営者は、大河ドラマ視聴歴40作品以上で、大河ドラマを見ることが趣味の就労ビザを専門としている行政書士です。
また、旅行の添乗員、中国語の全国通訳案内士の経験もあります。
大好きな大河ドラマ、資格を基にしている仕事、語学の経験をブログで発信しています。
- 大河ドラマ第19作「おんな太閤記」番組DATA
- 1981年大河「おんな太閤記」:あらすじ
- 1981年大河「おんな太閤記」主な配役
- 1981年大河ドラマ「おんな太閤記」主要キャストたちをご紹介
- ねね:佐久間良子①何よりも平和を望み秀吉を支えたねね
- ねね:佐久間良子②子供が出来なかったことの悩み
- ねね:佐久間良子③秀吉が出世し天下人になることは望んでいなかった
- 豊臣秀吉:西田敏行①西田敏行さんの温かい人柄がにじみ出る秀吉
- 豊臣秀吉:西田敏行②天下統一への思い「わしだけが戦のない世にできる男」
- 豊臣秀吉:西田敏行③天下統一への思い「わしの力で戦乱の世を終わりにしたい」
- 豊臣秀長:中村雅俊①秀吉の名補佐役。2026年大河ドラマの主人公
- 豊臣秀長:中村雅俊②常にねねの味方の秀長が選んだ人は「ねねに似た女性」
- 豊臣秀長:中村雅俊③千利休にも高く評価される秀長
- 前田利家:滝田栄①秀吉を高く評価しお互いを尊重し合う親友
- 前田利家:滝田栄②命がけで晩年の秀吉を諫める
- 織田信長:藤岡弘①後世の人々がもつ「典型的」なイメージの信長
- 織田信長:藤岡弘②ねねには優しい信長
- 織田信長:藤岡弘②ねねに四男於次丸をくれた信長
- お市:夏目雅子「あの世でも勝家の妻でいたい」と言う
- 淀殿(茶々):池上季実子①圧倒的な存在感!池上季実子の演技力に驚く
- 淀殿(茶々):池上季実子②権力を愛した茶々
- 淀殿(茶々):池上季実子③ねねに敵対心をもち時局の読めない茶々。
- なか:赤木春恵①侍と戦が嫌い。いざとなれば中村へいねばええ
- なか:赤木春恵②藤吉郎のために地獄へも行こう
- なか:赤木春恵③ねねとなかは嫁姑というより本当の母子以上
- きい(あさひ):泉ピン子 愛する夫と離別。徳川家康の正室になる
- 蜂須賀小六:前田吟「家臣」というより「友」である小六
- まつ:音無美紀子①娘豪姫をねねと秀吉の養女にくれる
- まつ:音無美紀子②利家まつ夫婦と秀吉ねね夫婦の友情
- やや:浅茅陽子 秀吉に厳しいことをずけずけ言う
- 徳川家康:フランキー堺 我慢強く「機を見るに敏」稀有な天下人
- 1981年大河ドラマ「おんな太閤記」おすすめの場面
- 1981年大河「おんな太閤記」ねね:佐久間良子・秀吉:西田敏行:まとめ
大河ドラマ第19作「おんな太閤記」番組DATA
それでは、最初は、大河ドラマ「おんな太閤記」の番組DATAをご覧ください。
放送期間:1981年(昭和56年)1月11日~12月20日
脚本:橋田壽賀子
主な舞台地:清州、中村、岐阜、長浜、大阪、京都、姫路など。
初回視聴率:32.2%
最高視聴率:36.8%
平均視聴率:31.8%NHK大河ドラマ・ストーリー「おんな太閤記」「NHK大河ドラマ大全 50作品徹底ガイド」 より抜粋
当時は、歴史がほとんど分かっていない小学生だったのですが、話の面白さはよ~くわかりました。特に第一回「出会い」は西田敏行さんの熱演に感動して泣いてしまったのを今でもよく覚えています。西田さんの個性がよく出ている「藤吉郎」の明るさと一生懸命さ素晴らしいです!(はなみ)
1981年大河「おんな太閤記」:あらすじ
次に、あらすじをご紹介します。
「おんな太閤記」は、「おかか!」が流行語になった橋田壽賀子さんの脚本です。
何といっても、橋田壽賀子さんの作品だけあって、ドラマの展開は、主人公ねねの視点と秀吉ファミリーが中心です。
ねねと秀吉の人生の出来事を5つに区切って簡単なあらすじをご紹介します。
2)長浜城主時代~本能寺の変、明智光秀を討つまで
3)清洲会議~そして秀吉は関白太政大臣となり、家康も臣下の礼をとる
4)淀殿懐妊!秀吉は天下統一するがあさひ、秀長、大政所、相次ぐ身内の死
5)秀頼誕生、秀吉の死、関ヶ原の戦い、大阪の陣、豊臣家の終焉
ドラマチックな秀吉の出世と、秀吉を支えるねねに元気付けられました。個人的には山崎の戦いくらいまでの物語がかなり好きでした。後半はねねにとって辛い、悲しい場面が多かったです。(はなみ)
ねねと秀吉の出会い・結婚~長浜城主になるまで
まず、最初、ドラマは桶狭間の戦いから始まる。
出陣したねねの父である浅野又右衛門のケガをきっかけに、ねねは藤吉郎(豊臣秀吉)と犬千代(前田利家)に出会う。
当初、ねねは犬千代に好意をもっており、藤吉郎もそれはわかっていた。藤吉郎は犬千代をダシにして、ケガをした父の見舞いを口実にねねの家に通う。ところが、犬千代にはまつという妻がいた。
その後、ねねは藤吉郎の人柄を知る。お役目第一の一生懸命さ、七つで家を出てからの苦労話、苦労に耐えられる強さ。ねねは藤吉郎と一緒になることを決意。
さて、ねねと一緒になった藤吉郎は、持ち前の才覚で、薪係、台所係、足軽大将へと出世!
才覚を発揮し、時に無謀な行動でねねをハラハラさせながらも、美濃攻略、墨俣の一夜城、金ヶ崎のしんがりと、活躍する秀吉。
そして、秀吉は近江平定の戦功で、ついに12万石の大名になる!秀吉は今浜に城を築き、長浜と名前を変え長浜城主となった。
長浜城主時代~本能寺の変、明智光秀を討つまで
清洲会議~そして秀吉は関白太政大臣となり、家康も臣下の礼をとる
さて、信長の弔い合戦をして天下人に近づいた秀吉。
山崎の戦いで明智光秀を倒した秀吉は、信長の後継者を決める清洲会議で、信長の嫡男信忠の長男である三法師を推す。
その後、信長の三男信孝は、「筑前(秀吉)が天下を欲しいままにするのを防ぐため」と叔母のお市の方に、柴田勝家に嫁ぐよう頼む。お市の方は三人の娘を連れて勝家に嫁ぎ北の庄城に行く。
やがて、秀吉と勝家の天下をかけた覇権争いが起こり、秀吉の勝利となる。お市の方は秀吉の庇護を受けたくないと言い、三人の娘を城から出して勝家と共に自害して果てる。
そして、いよいよ秀吉は天下統一に向けて、徳川家康と小牧、長久手で対決する。しかし決着はつかず秀吉は家康と和睦することになる。
ところで、秀吉は関白になるが、家康は秀吉に臣従せず上洛してこない。秀吉は窮余一策で妹あさひを家康の正室にするが、それでも家康は上洛しなかった。
秀吉は万策尽き、とうとう母のなかまで人質として家康の元へ送る。そして、やっと家康は上洛し秀吉に臣下の礼をとった。
淀殿懐妊!秀吉は天下統一するがあさひ、秀長、大政所、相次ぐ身内の死
秀頼誕生、秀吉の死、関ヶ原の戦い、大阪の陣、豊臣家の終焉
ところで、秀吉は、また男の子に恵まれる。何と、茶々がまた懐妊し、秀頼が誕生した。
秀吉は、秀頼かわいさに、関白職を譲った秀次から関白職を剥奪し高野山に追放した。そして秀次は潔く切腹して果てる。
しかし、それだけではなく、ねねの甥でややの息子幸長も秀吉の逆鱗にふれ、それには三成も関わっているという。ねねは利家に助けを求める。
ねねからは、
なぜ秀吉と連れ添ってきたのかわからない、何のために苦労してきたのか、天下人になったがゆえに一族をこのような目に。秀吉殿のご出世をつくづく恨めしゅう思います。
などの発言もでる。
前田利家は、愚行を繰り返す秀吉を命がけで諫めに行く。利家は昔の藤吉郎と犬千代に戻って話をしたいという。
今のおぬしがあるのはねね殿の陰の力があってこそ。
秀頼が可愛いのはわかるが、淀殿に溺れ、秀頼の為に血迷い、三成ごときの意のままになっているおぬしを見たらこれからの豊臣家が案じられる、と。
利家の捨て身の諫言に秀吉は土下座をして「よう言うて下された。わしを諫めて下さるのは犬千代様だけじゃ」と泣きながら利家に縋りつく。
だが、それから、秀吉の死があり、ドラマは一気に、関ヶ原の戦い、大阪の陣、豊臣家の終焉と向かっていく。
「おんな太閤記」はU-NEXTで全編一気に視聴できます!是非ご覧ください。
1981年大河「おんな太閤記」主な配役
さて、続いては主なキャストのご紹介です。以下の3つにに分けてみました。
・武将たち(秀吉の家臣含む)
・女性たち
「おんな太閤記」主要キャスト:豊臣ファミリーと親戚
それでは、主なキャストのご紹介、まずは、「豊臣ファミリーと親戚」です。
ねね:佐久間良子(秀吉の正妻。北政所。秀吉を愛し支え、豊臣家と家族を大切にし、平和を望む。)
豊臣秀吉:西田敏行(後に関白太政大臣、太閤となる。ねねを愛し母に孝養を尽くす。)
豊臣秀長:中村雅俊(秀吉の弟。後に大納言秀長。秀吉の覇業達成に大きな役割を果たす。)
なか:赤木春恵(秀吉の母。後の大政所。土に生きる庶民的な人生哲学は生涯変わらない。)
とも:長山藍子(秀吉の姉。関白豊臣秀次の母。夫、息子の武士としての出世を望む。)
きい:泉ピン子(秀吉の妹。旭姫。好きで一緒になった夫と、秀吉に離別させられ徳川家康の正妻となる。)
やや:浅茅陽子(ねねの妹。浅野長政の妻。ねねの良き相談相手。秀吉を非難することも多い。)
浅野長政:尾藤イサオ(ねねの妹のややの夫。のち広島浅野宗家の始祖。)
しの:田中好子(秀長の妻。播磨攻略時に秀長に出会う。足軽の娘。秀長と結ばれるまで困難が多い。)
豊臣秀次:広岡瞬(秀吉の姉の長男。秀吉の後を継ぎ関白になるが、秀頼が誕生後高野山で自害。)
豊臣秀頼:井上純一(淀殿が生んだ秀吉の三男。右大臣。大坂の陣で秀頼母子は自害、豊臣家は滅びる。)NHK大河ドラマ・ストーリー「おんな太閤記」「NHK大河ドラマ大全 50作品徹底ガイド」 より抜粋
浅野長政は「忠臣蔵」で有名な浅野内匠頭の本家、広島浅野宗家の始祖なんですね。(はなみ)
「おんな太閤記」主要キャスト:武将たち(秀吉の家臣含む)
織田信長:藤岡弘(徹底的な合理主義で中世の機構を打破、統一政権樹立を志す。)
徳川家康:フランキー堺(江戸幕府の初代将軍。秀吉の死後平和を願うねねと協力する。)
前田利家:滝田栄(秀吉の生涯の友。加賀百万石前田家の始祖。秀頼の後見人。)
蜂須賀小六:前田吟(秀吉の家臣。阿波徳島藩の始祖。軍事、政治とも秀吉の信任厚い。)
柴田勝家:近藤洋介(織田信長の筆頭家老。お市の方の夫。後、秀吉に攻められお市と共に自害。)
明智光秀:石濱朗(本能寺で主信長を襲い自害させるが、山崎の戦いで秀吉に敗れる。)
浅井長政:風間杜夫(お市の方の夫。浅井三姉妹の父。信長を裏切り織田軍と戦うが小谷城で自害。)
石田三成:宅麻伸(少年時代:坂上忍。「おんな太閤記」では完全に悪役。関ケ原の戦いで家康に敗れる)NHK大河ドラマ・ストーリー「おんな太閤記」「NHK大河ドラマ大全 50作品徹底ガイド」 より抜粋
超大物俳優で、大河ドラマにもよく出演される役所広司さんは、「おんな太閤記にも出ておられました。織田信孝:役所広司(信長の三男。)お市の方に柴田勝家と再婚するよう頼みます。(はなみ)
「おんな太閤記」主要キャスト:女性たち
お市:夏目雅子(織田信長の妹。浅井長政・柴田勝家の正室。淀殿ら浅井三姉妹の母。)
まつ:音無美紀子(前田利家の妻。後の芳春院。前田利長の母。秀吉・ねね夫婦とは家族同様の友。)
豪姫:岩崎良美(秀吉・ねね夫婦の養女。実の両親は前田利家・まつ夫婦。宇喜多秀家の正室。)
千種:沢田雅美(秀吉の側室。南殿。秀吉の長男秀勝を生む。秀勝早世後秀吉の元を去る。)
淀殿:池上季実子(お市の方の長女。秀吉の側室で秀頼の母。誇り高く自分を貫き通した女性。)
松の丸殿:松原智恵子(京極龍子。秀吉の側室。京極高次の姉。淀殿と従妹同士)
千姫:高見知佳(徳川家康の孫。母は淀殿の妹小督。豊臣秀頼の妻。)NHK大河ドラマ・ストーリー「おんな太閤記」「NHK大河ドラマ大全 50作品徹底ガイド」 より抜粋
1981年大河ドラマ「おんな太閤記」主要キャストたちをご紹介
それでは、続いて、私が個人的に好きな場面を交えながら主要キャストたちをご紹介します。
豊臣秀長=中村雅俊さん
織田信長=藤岡弘
前田利家=滝田栄さん
お市=夏目雅子さん
淀殿=池上季実子さん
なか=赤木春恵さん
きい(あさひ)=泉ピン子さん
蜂須賀小六=前田吟さん
まつ=音無美紀子さん
=(イコール)ではないですが、私の中で一番大好きな秀吉は、「おんな太閤記」の西田敏行さん演じる秀吉です。「おんな太閤記」はU-NEXTで全編一気に視聴できます!是非ご覧ください。(はなみ)
ねね:佐久間良子①何よりも平和を望み秀吉を支えたねね
まずは、ドラマの主人公、豊臣秀吉の正室「ねね」です。
私が知った最初の「ねね」は「おんな太閤記」のねねで、以来、私にとって「ねね=おんな太閤記の佐久間良子さん」です。
「おんな太閤記」のねねは、女性のお手本、妻の鏡のような人です。
ねねは、戦国時代の女性なのに、戦が嫌いで常に平和な世の中を願い、また、弱者の味方でいます。この思いがねねにとって基本中の基本、強い信念でした。
そして、ねねは、大変思いやりがあり、自分よりも秀吉、家族、家臣やその家族、民百姓の暮らしを思いやれる女性です。
ですので、信長の比叡山焼き討ちで秀吉も女子供を殺したと思い込んだ時は血相変えて怒ります。また、秀吉がお市の子万福丸を串刺しにしたと聞いた時は秀吉と別れると言います。
そして信長の天下取りを望んだ事、秀吉の天下統一を支えた事、家康に天下の安泰を託した事、全ては「平和を望んだから」だったと思います。
さて、終生秀吉を支え続けたねねと弟秀長ですが、秀長のねねに対する言葉は素晴らしいです。
秀吉の長浜12万石の祝いで、
「真の補佐役は姉様よ。兄者のことを誰よりもようご存じで、兄者が存分に働けるようしっかりと留守を守っておいでじゃった。
今日の兄者があるのはひとえに姉様のおかげよ。疎かに思うたら罰が当たるわ!わしが許さん!」
ねね:佐久間良子②子供が出来なかったことの悩み
ところで、ねねは元々賢い女性ですが、出世する秀吉に伴って秀吉の妻にふさわしい大きな器量と胆力も備わります。
そんなねねですが、やはり、子供が出来なかったことが一番の不幸だったかもしれません。
若い頃、ねねは少々奥ゆかし過ぎるところがありました。子供がいない(秀吉の世継ぎが出来ない)事を引け目に思いすぎていたのです。
秀吉が、長浜12万石の大名になった時、側室千種と千種との間にできた秀勝が長浜にやって来ます。その時、自分が身を引こうとします。
世継ぎも産めない私が「おかか」等と大きな顔はできない、と言うのです。
何という控え目さ!謙虚過ぎます。その後も偉そうな千種に何かと気を遣い優しすぎるねね。
結局、秀勝は早世しますが、秀勝を失った千種は身を引きます。
その後も秀吉には多くの側室ができましたが、ねねの事は相変わらず大切にしていました。そしてねねも秀吉の側室の面倒を良く見ていました。
ねね:佐久間良子③秀吉が出世し天下人になることは望んでいなかった
さて、ねねは、贅沢や栄耀栄華は望んでいませんでしたが、女性で最高の従一位北政所になります。
秀吉が出世するに従って、夫の出世で苦労するよりも平凡な幸せを望んでいたと繰り返すねね。
長浜城主になった秀吉が、ねねを長浜に迎える為輿と打掛けを送ります。
ねねは、輿に乗らず、秀吉の姉ともと子供を乗せるのです。
大名の「おかか」にもなかなか慣れません。私は足軽のおかか、貧乏性が身に付いていて、働くことしか能がありませぬ、と祝いにきた利家とまつにこぼします。
そして、ねねは、よく言っていました。大名のおかかなどなりたくなかった。ああ、昔は良かった、と。
天下人になった後も「天下人などになって頂きとうはなかった」とねね。
ドラマが進むと、天下人秀吉の始まりは秀吉の家族にとって、苦難と不幸の始まりであったような気がします。
「おんな太閤記」の後半では、秀吉や茶々に対して腹立たしい事もあります。
「おんな太閤記」はU-NEXTで全編一気に視聴できます!是非ご覧ください。
豊臣秀吉:西田敏行①西田敏行さんの温かい人柄がにじみ出る秀吉
次に、西田敏行さんの秀吉です。
秀吉の魅力は、西田さんの個性がにじみ出ているような温かい人間味あふれたところです。
とても微笑ましく、天賦の才能をいかし、強運を味方につけぐんぐん出世していくところに惹きつけるられるのです。
有名な薪係、台所係、清洲城の塀の修理、美濃攻略、墨俣の一夜城、金ケ崎撤退のしんがり、等の見せ場が次々と登場し、出世します。
尚、金ケ崎撤退のしんがりについては、別のブログにもありますのでご覧頂ければ嬉しいです。
秀吉が出世街道を驀進することは、多くの人が知っていることです。ですが、このドラマはその秀吉の活躍ぶりは、特に明るく、楽しく、イキイキと描かれています。見ている人がスカッとします!
さすが、橋田壽賀子さん脚本、演じるのは西田敏行さんだけある!と感心させられます。本当にしっかり、見せ場をつくっていて、人を笑わせ、泣かせ、考えさせ、感動させてくれます。
秀吉の好きな場面や印象的な場面は多すぎるので、他の主要人物とのからみでもご紹介します。また別ブログでもご案内していく予定です。
それはそうと、第一回での西田敏行さんの一人舞台のような長ゼリフ場面は、すごいです!
どこまでしゃべるの?いつまでしゃべるの?と思うくらい長いセリフ。ですが、引き込まれる内容ですし、話し方がまた、上手い!さすが西田敏行さん!
この第一回で、「おんな太閤記」のファンになった視聴者は多いと思います。
豊臣秀吉:西田敏行②天下統一への思い「わしだけが戦のない世にできる男」
ところで、北ノ庄落城後、ねねは秀吉に聞きます。
「お前様は天下が取りたいがゆえに勝家殿を討ったのですか?勝家殿は戦を疎まれ、お市様と三人の姫様方とお幸せに暮らしておいでだったという事ではありませんか。それをお前様は、、、。
恐ろしいお方じゃ。私にはお前様が分からなくなってしまいました。お前様は変わられました。」
「おかかはわしをそのような男と思っておるのか?ただ天下が欲しゅうて勝家殿を討ったと思っておるのか?」
秀吉は、「わしも勝家殿とだけは争いたくなかった、信長様の子信孝様が勝家殿を頼ってわしを討とうとした、討たねば討たれる、乱世の習いよ。
わしとて命をかけておのれと家臣を守る戦と思って覚悟の出陣だった。正直言うて、天下を考えるゆとり等なかったわ、食うか食われるか、ただそれだけの戦だった。
しかし、わしは運よく生き残った。生き残って見ればわしよりほかに天下を治める者はおらん。わしだけが戦のない世にできる男じゃと気付いた。」
豊臣秀吉:西田敏行③天下統一への思い「わしの力で戦乱の世を終わりにしたい」
更に、秀吉は熱く真剣に語ります。
「しかしの天下を治めるには力がいる、一時の気のゆるみも許されぬ、地獄じゃ。それでもわしの力でこの長い長い戦乱の世を終わりにしたい。
それが、上様の遺志を継ぐこと、命を失ってきた将兵たちの供養でもある。
わしのこれからの務めはこの日本から戦をなくすこと。厳しい道じゃがわしがやらねばやる者がおらんのよ。
おかかにだけは分かって欲しい。わしが信じられるのは、昔も今もおかかと秀長だけじゃ」
「ついてきてくれるか?」と聞く。
小さく「はい。」というねね。
秀吉のこの覚悟を聞くと、「はい」と言うしかないと思いました。でも、ねねの表情は憂いでいて、どこか諦めに似た表情とも取れました。
これからのねねと秀吉のたどる道を思うと、「幸せとは程遠い、不幸な人生への第一歩ではないか」と観ている方も辛かったのです。(はなみ)
それはそうと、戦国時代の大河ドラマについては別ブログでもご紹介しています。ご覧頂けると嬉しいです。
豊臣秀長:中村雅俊①秀吉の名補佐役。2026年大河ドラマの主人公
さて、続いては、秀吉の弟小一郎秀長です。
終生秀吉の名補佐役で活躍した秀長。そんな秀長が、ついに!2026年大河ドラマの主人公になります。
祝いの席だったと思いますが、蜂須賀小六が、秀長の事を
「秀吉殿を陰から支えてこられたのは秀長どのじゃ。温かいお人柄、皆からの人望も厚い。秀吉殿の補佐役は何というても秀長殿じゃ。」と言います。
私も、この小六殿の発言は絶対にその通り!!と思います。
また、秀吉も、秀長の事を「わしのことを分かってくれるのはおかかと秀長だけじゃ。」と言います。この秀吉のセリフはドラマに何度か出てきます。
私は、「おんな太閤記」の中村雅俊さん演じる小一郎秀長は大好きです。秀長があと10年くらい生きていてくれたら日本の歴史は変わっていたかも?と思う時もありました。
ところで、小一郎は最初、武士になるつもりなどなかったようでした。ですが、藤吉郎が難しい問題(清洲城の壁の普請)をまたも請け負ってしまいました。
心配になったねねが、中村の小一郎に秀吉の力になって欲しいと頼みにいきます。その頃から藤吉郎を助けるようになりました。
ドラマには、これは無理だろう!と思う難題やピンチが出てきます。それを機転と度胸と知略で切り抜けていく秀吉と、ヒントを出したり補佐したりする秀長の活躍ぶりが多く楽しみでした。(はなみ)
豊臣秀長:中村雅俊②常にねねの味方の秀長が選んだ人は「ねねに似た女性」
次は、秀長が好きになった女性の話です。
秀長は、千種や淀殿ら側室に子供が出来たということで、ねねやなかが悲しんだり騒いだりしても、最終的にはなだめに回っていました。
秀長は常にねねの味方だったので、側室のことも最初は「姉様がかわいそうじゃ」と言ってかなり怒っていました。
でも、世継ぎが欲しい秀吉の気持ちや立場をよく理解していたのです。秀吉と豊臣家の事を心から心配しつつ、ねねの気持ちに寄り添っているのが秀長のスタンスであったと思います。
それはそうと、秀長は播磨攻略に赴いた時しのと出会います。しのは、秀長様は姉上様(ねね)の話ばかりしていると言っています。
土を大事にする、心映えが美しい。しのが姉様に良く似ている、姉様は優しくて良く気が付くお方、と、秀長はねねのことを話すらしいのです。
秀長たちが勝手が分からない山道で迷って難渋していた時に、しのが、助けてくれていろいろ面倒を見てくれた、というのが馴れ初めらしいです。
その時のしのの心遣いが忘れられず、しのを生涯の伴侶に決めた秀長です。
ねねと出会ってから、常にねねの味方である秀長が好きになった人は、やはり「ねねに似た女性」だったのです。
豊臣秀長:中村雅俊③千利休にも高く評価される秀長
ところで、秀吉が信長の勘気に触れ蟄居させられる話があります。
その蟄居中、秀吉は毎晩のように宴会をして銭を使いまくり騒ぎまくります。
そのようにして、銭を使いまくっている本当の目的は「信長に謀反の疑いをかけられないようにするため、銭(軍資金)がないので戦はできないと信長に思わせるため」でした。
その頃、能登七尾城が上杉謙信に落とされた等、信長の戦局が悪くなります。そして、秀吉に信貴山城の松永久秀を討てと命が下ったのです。秀吉の蟄居は解けました。
ですが、松永久秀を滅ぼした後、中国攻めが始まった秀吉には軍資金がありません。蟄居の時に毎夜の宴会で使い果たしたからですが、またも秀長が活躍します。
秀長は、秀吉の命で資金調達の為、堺の千宗易(千利休:内藤武敏)に軍資金を融通してもらいに行きました。ですが、何と、借金のかたに自分の命を差し出すと書状にしたため持参していました。
宗易は秀長の人柄を大変気に入り、また武将としての人物を高く評価しました。
「銭は惜しゅうはございませんが、あなた様のお命を頂くのは誠に惜しゅうございます」「筑前殿に貴方様がお出でにいる限りご武運の尽きることはありますまい」と。
それはそうと、中村雅俊さんの豊臣秀長に関しては別ブログでもご紹介しています。ご覧頂けると嬉しいです。
前田利家:滝田栄①秀吉を高く評価しお互いを尊重し合う親友
前田犬千代は、後の加賀百万石の始祖前田利家。秀吉の親友です。
「おんな太閤記」での秀吉と利家は、他の大河ドラマに比べて、「ライバル」ではく「対等で、お互いを尊重している親友」として描かれていると感じます。
足軽組頭であった藤吉郎は、信長の勘気に触れ浪々中だった犬千代を自分の長屋に居候させていました。その後、秀吉は出世しても利家には丁寧な言葉で接し、とても大事にしていたのです。
そして、犬千代も藤吉郎を大事に思っているだけではなく、高く評価していました。
犬千代は、ねねに思いを寄せていた藤吉郎を見かねてねねに、藤吉郎と一緒になって欲しいと頼む場面があります。その時犬千代は藤吉郎のことを、
「藤吉郎は目端の利く切れ者、胆も据わっておる。辛抱することも知っておる。信長様のお覚えがめでたいのは、藤吉郎の知力と人を温かく包み込む人柄のせいじゃ」
「人の人情もわかる。ねね殿を決して不幸せにはせぬ」とべた褒めです。
「おんな太閤記」の小一郎秀長と前田利家は大好きでした。藤吉郎と小一郎と犬千代が一緒にいる場面が特に好きで、今もこの場面は楽しいと感じます。(はなみ)
前田利家:滝田栄②命がけで晩年の秀吉を諫める
ところで、秀吉は、晩年、拾い(秀頼)を溺愛し愚行を繰り返します。そんな秀吉を利家が諫める場面があります。
「今日は、藤吉郎と犬千代の昔に戻って語りたい。ねね殿と一緒になる時の気持ちを忘れてはおらんだろうな?今、おぬしがあるのはねね殿の陰の力があったればこそじゃ」
「おかかが何ぞ?」と秀吉。
「わしが目に余る故言うておるのじゃ!!」恐ろしい形相でどなる利家。
「おぬしがお拾君がかわいいのはわかる、しかしその為におぬしがしたことは、とても昔の藤吉郎と思えぬ。
しかもお拾君をかついでおぬしに取り入ろうとする輩のいいなりになって勝手な事を許すとは、天下を治める者の資格等ない。ただの親バカじゃ!
淀殿におぼれ、お拾君のために血迷い三成ごときの意のままになっているおぬしを見たらこれからの豊臣家が案じられてならん。
今にねね殿とておぬしを見限ろう。心ある者はおぬしから離れてしまおう。そうなったら豊臣家はどうなる?天下はどうなると思う?
わしは藤吉郎とねね殿が大事ゆえ、おぬしに目を覚ましてもらいたいのじゃ!」
「利家殿!」
「気に入らずばわしを討て!豊臣家の凋落を見るくらいなら死んだ方がマシじゃ! と出ていこうとする利家を秀吉は泣きながら必死に追いかけます。
秀吉は土下座をして、「よう言うてくだされた!わしを諫めてくださるのは犬千代様だけじゃ」と言う秀吉は涙ながらに利家にすがりつきました。
織田信長:藤岡弘①後世の人々がもつ「典型的」なイメージの信長
次は、信長ですが、私にとって「信長=藤岡弘さん」です。
かっこ良さ、歴史から選ばれた天才的な人物、狂気じみた恐ろしさを感じる信長でした。後世の人々がもつ「典型的」なイメージの信長のような気がします。
過去の大河ドラマ「徳川家康」の役所広司さんや「利家とまつ」の反町隆史さんも、すごく素敵だと思い、毎週見るのが楽しみでした。
ですが、このお二人は良い印象が強すぎて「なぜ謀反を起こされたのか?」と思ってしまいました。
さて、「ねねには優しい信長」については、主に以下のの3点があります。
・ねねに手紙をくれる信長
・安土城にねねを呼び労をねぎらってくれた信長
・ねねに於次丸をくれる信長
織田信長:藤岡弘②ねねには優しい信長
それでは、「ねねには優しい信長」の話です。
秀吉の名代で安土城築城の祝いに行くことになったねねに、信長は優しい言葉をかけます。筑前が良く務めてくれた、それもそなたの内助の功があったればこそ。と信長。
ねねも、「全て殿様の御威光のお蔭と思っております」と信長に感謝します。
しかし、ふとしたことから、秀吉に側室ができ嫡男もできた話になった時です。
魔が差したのか、ねねはこともあろうに、「子のない女子は情けないものでございます。他の女子に心を移されたとてたた耐えねばなりませぬ」と信長に秀吉の浮気の愚痴を言い始めたのです!
我にかえった時は遅かったのです。が、大笑いする信長でした。
「そなたに妬かれるとは筑前は果報な男だ」と信長。おまけに安土見物まで勧めてくれました。ねねが持参した数々の引き出物を見事、と褒め、「しかし一番見事なのはそなたよ。」
と、言いました。ねねにはかなり優しい信長です。
後日、信長はねねに宛手紙を送ります。ねねの悋気をやさしくたしなめる手紙でした。
「禿ネズミ(秀吉のこと)には、どこを探してもそなたのような女子を二度ともらえないだろうから、そなたも自信を持って奥方らしく構えて軽々しくやきもちなど焼いてはならぬ。」
との内容でした。「信長様はお心の細やかなお優しい方ですな。」と涙目のねね。
織田信長:藤岡弘②ねねに四男於次丸をくれた信長
ところで、秀吉が播磨を手中にいれた後ですが。
信長はねねの今までの苦労を労うため、正月にねねと秀吉を安土城に呼んでもてなしました。
そして皆の前で、筑前の忠勤織田の武将多しと言えど右に出ぬ者はおらぬ。と言って秀吉の忠勤を労ったのです。
その後、ねねが信長に於次丸を養子に欲しいと願う場面があります。秀吉が世継ぎの秀勝を亡くしたと聞いた事もあって、信長は於次丸をねねと秀吉にくれました。
岐阜城:岐阜市観光ナビ((公財)岐阜観光コンベンション協会)
お市:夏目雅子「あの世でも勝家の妻でいたい」と言う
続いては、夏目雅子さんのお市です。
「おんな太閤記」のお市は、他の大河ドラマのお市と比べておとなしめだと思います。なのに、すごく印象的で、控えめな中にも凛とした芯の強さが光ります。
その輝くような美しさは、歴代お市の方の中でも突出していると思います。尚、歴代お市の方は別ブログでもご紹介しています。
柴田勝家と結婚してからのお市はとても幸せそうでした。お市は勝家に、悲しい思い出のある北近江ではなく北の庄に住みたいと言います。北の庄は戦略的に不利です。
なのに勝家は、お市の為に雪深い北の庄に住んだのです。勝家は、「この年になって初めて人を愛おしむという事を知りました。お市様のおかげじゃ」といいます。
お市も、北ノ庄落城直前に「私は勝家殿に添うて幸せでございました。一年足らずの短い月日でございましたが、この北ノ庄で生まれて初めて心安らかに過ごさせて頂きました。」
「まことに市を愛おしんで下さるならば私をお連れ下さいまし。市はあの世でも勝家殿の妻でいとうございます。」
勝家とお市がかわいそうで、この時はじめて秀吉め!と思いました。(はなみ)
淀殿(茶々):池上季実子①圧倒的な存在感!池上季実子の演技力に驚く
さて、「おんな太閤記」の茶々の貫禄はすごいです。
この当時の池上季実子さんは、恐らく22歳くらいです。
お市の方が柴田勝家に嫁ぐことになり、その時が最初の登場ですが、10代の気品あふれた気位の高い姫君。圧倒的な存在感。その演技力に驚きます。
それはそうと、池上季実子さんの大河ドラマの役についてですが。
池上季実子さんは、「草燃える」の大姫、「おんな太閤記」の淀殿、「徳川家康」の築山殿等のような「悲惨な事情のある役」で怖いくらい胸に刺さる、強烈に印象に残る演技をする女優さんです。
淀殿(茶々):池上季実子②権力を愛した茶々
それはそうと、別ブログでもご紹介していますが、「おんな太閤記」の茶々にとって「天下人の姪、天下人の妻、天下人の母」が人生の全てだったのかな?という風に感じました。
上記別ブログにも書いたのですが、秀吉の側室になる前に、織田信長の四男で秀吉の養子であった於次秀勝(草見潤平)と茶々は相思相愛の仲でした。
その時だけは、茶々は恐ろしい顔ではなかったのです。ですが、秀勝が病死し、また茶々は怖い顔になりました。秀吉は嘆き悲しむ茶々を慰めるという口実で茶々に接近します。
一方、ねねは茶々に加藤清正との縁談を持ちかけます。しかし、その話がきっかけで、茶々は秀吉に「そばにいたい」と言い、秀吉の側室になります。
茶々を見ていると、「秀吉を愛した」というより、「権力を愛した」という印象をもちました。
ねねは茶々に対して寛大過ぎた、或いは甘く見ていたのかもしれません。もっと用心していれば良かったのにと思います。
茶々が秀吉を愛したか否か関係なく、また、茶々が秀頼に豊臣家を継がせたかったとしても、豊臣家を滅ぼすのは茶々の宿命だったのではないか?と考える事があります。
淀殿(茶々):池上季実子③ねねに敵対心をもち時局の読めない茶々。
ところで、当初から茶々はねねを見下し、敵対心をもっていました。
ねねがどんなに茶々に気を遣っても、「今でこそ筑前(秀吉)の女房と言って権勢を欲しいままにしておるが、元は足軽の娘ではないか。」という発言もあります。
そして、終盤ですが。
徳川家康が征夷大将軍を息子秀忠に譲ったと知った茶々は、烈火のごとく怒り、ねねに徳川と戦火を交えることも辞さぬと訴えます。ねねが戦をして何になるのかと言っても
「政所様は豊臣が徳川の一大名に成り下がってもええと言われるのですか?」と茶々は引き下がらないのです。
ねねが、「豊臣にはもはや徳川に抵抗する力はありません。」等と秀吉の晩年の失政、関ケ原の戦いの原因や結果、豊臣家の現状を言っても茶々は全く理解しようとしません。
時局の読めない茶々。
「政所様は豊臣より徳川が大事と思っておられるようじゃ。徳川に付けば身は安泰。栄耀栄華はおできになりましょう。天下も収まりましょう。
ですが、それは口実じゃ。まことは秀頼君が憎うて。ご自分ではお子が産めなんだゆえ。もし政所様にお子がおありであらばこのように豊臣を見捨てなんだであろう!」
かなり、ひどいです!
しかし、ドラマの最後では、「高台院様は天下の為に家康をお選びなさいました。それをお恨みに思った事もございました。じゃが、今は高台院様のお考えが正しいと思っております。」
大坂夏の陣の前に淀殿の説得に来たねねに、淀殿が言った言葉です。
なか:赤木春恵①侍と戦が嫌い。いざとなれば中村へいねばええ
さて、次は、秀吉の母、なかです。
「おんな太閤記」のなかは、他の大河ドラマのなかよりも、秀吉の出世を喜ぶ場面が少ないです。それどころか、秀吉の出世のせいで皆が苦労すると思っています。
なかは、侍と戦が嫌いです。なので、なかが中村から動かないのは、いつ何があっても良いようにと言う深い考えからでした。なかにそんな深い考えがあったとは、感心し感謝するねねです。
「藤吉郎は今は信長様の覚えがめでたいが、疎んじられるかもしれない。また戦で命を失うかもしれない。藤吉郎だけでなく、藤吉郎をたよりにしている兄弟たちも路頭に迷う、行く所がなくなる。
そんな時のために自分は中村で土を耕しているのだ」
本能寺の変が起こった時も「信長様が殺されたら藤吉郎の首は飛んだも同じ」、「落ち着いたら皆で 中村にいのうぞ、元の百姓に戻ったと思えばええこと」と言うなか。
秀吉が長浜城主になるまで中村の畑で百姓をしており、いくら迎えに行っても秀吉の元に来なかったのです。
ですが、長浜城に秀吉の側室千種と秀吉の子秀勝が来たことをきっかけに、ねねを守る為長浜城に住むことになります。
なか:赤木春恵②藤吉郎のために地獄へも行こう
ところで、「秀吉の出世を喜ぶ場面が少なく、秀吉の出世のせいで皆が苦労すると思っている」と上記しました。
しかし、なかは子供への愛情は大変深く、もちろん秀吉に対してもです。
自分は秀吉に何もしてやっていないのに、秀吉が自分の力だけでやってきたことを「大した者」だと思っています。と、同時に何もしてやれなかったことを心から申し訳なく思っています。
秀吉がなかを徳川家康のところへ人質にやる場面に、そのなかの気持ちが一番よく表れています。
なかは、表向きは「家康の正室になったあさひの見舞い」という事で、しかし、実は人質として岡崎に行きます。
ねねは初めそれに気が付いていませんでしたが、秀長は分かっていて、絶対に行ってはいけないとなかを止めます。
ですが、なかは人質と分かっていて、殺される覚悟で岡崎に行きます。
「わしは藤吉郎に何一つしてやれなんだ。二度目の父親とも折り合いが悪くて7つの時に寺の坊主に出した。そこでも追い出されたが、あの子は立派に一人で生き抜いてきた。
わしは母親として何一つしてやれなんだ。じゃが、藤吉郎はわしを大事にしてくれる。もし母親として藤吉郎の為に何かしてやれるとしたらこれほど嬉しいことはない。
わしはあの子のために地獄へも行こう」
「おっか様!」悲痛な表情に秀長。
「これはねねさには言うてはならんぞ。ねねさが藤吉郎を見限ったら関白家は成り立たぬわ」
なか:赤木春恵③ねねとなかは嫁姑というより本当の母子以上
なかは、子供たちに深い愛情をもつ母ですが、それは、嫁であるねねに対しても同じでした。
「おんな太閤記」のねねとなかは嫁姑というより、本当の母子、そして苦難を共に切り抜けてきた同士というかんじでした。
毎回、そんなねねとなかを観ると、子供ながら温かい気持ちになりました。今観ても同じ気持ちになれます。
臨終の時に、なかはねねに言います。
「わしはねねさを嫁と思った事はなかった。娘じゃと。いや、娘以上じゃった」
きい(あさひ):泉ピン子 愛する夫と離別。徳川家康の正室になる
きい(あさひ)は秀吉の妹です。
百姓の嘉助(副田甚兵衛:せんだみつお)と一緒になりました。きいは嘉助が侍になることは反対でした。ですが、嘉助が侍になるといって秀吉につかえます。
あさひは、姉ともと違って、義理の姉ねねと同じで、夫の出世よりも戦がなくなり、毎日夫と一緒に平穏無事に過ごせたら良いと思っていました。
ところが、秀吉が徳川家康を上洛させるために、あさひを夫と離別させ徳川家康の元に嫁いでほしいと頼むのです。初めは怒りまくり拒んでいたあさひ。
ですが、夫甚兵衛がこっそりと身を引いたことで、全てを諦め兄秀吉の言う通り徳川家康の元へ輿入れします。
あさひと甚兵衛の事を知ったなかは、「藤吉郎を殺してやる!!」と泣きながら怒ります。
藤吉郎には「お前は鬼じゃー。わしはお前のような子を産んで情けないと思っておる!」なかは半狂乱になりながら秀吉を打ち据えます。
あさひは、「わしは家康殿のところへ行ってもええ。わしは死んだも同じじゃ。甚兵衛さと一緒に死んだのよ。後はどうなろうと死んだ人間にはどうでもええ。」
結局あさひは家康に嫁いだのです。
蜂須賀小六:前田吟「家臣」というより「友」である小六
さて、蜂須賀小六は秀吉の友達でした。
秀吉は小六にほれ込んでいて、美濃攻略の時にも斎藤方ではなく信長の味方をしてほしかったのです。でも、小六は信長の事がどうしても好きになれず斎藤方に付く事にしました。
秀吉は、「自分が昔木綿針を売りながら放浪している時に小六と出会い良くしてもらった、今でもその恩はわすれぬ、その時から小六のことを好きになった、小六を敵に回したくない。
この先も一緒に苦楽を共にしたい、もう他人とは思えんのじゃ」と言います。
小六もねねに出会い、ねねの度胸と人柄に接し「わしはねね殿に惚れた、ねね殿に惚れた秀吉殿に惚れた。どうせ死ぬことを選ぶなら惚れた殿に付く事よ。わしは秀吉殿をわが殿と決めた!
わしは秀吉殿にお仕えする」と、小六は信長ではなく、秀吉の家来になったのです。
後年、秀吉が長浜城主になった祝いの席の時も、秀吉は、ねねの父に小六の事を「わしの右腕になってもろうて。わしは良い友に恵まれました」と紹介します。
それからもずっと、秀吉もねねも小六を「家臣」というより「友」として大切にします。
まつ:音無美紀子①娘豪姫をねねと秀吉の養女にくれる
次は、前田利家の妻です。
まつは、清洲時代からのねねの親友です。
清洲、小牧で隣同士の屋敷に住んでいました。また、長浜時代には、子供のいないねねを不憫に思い自分の娘豪姫を養女にくれます。
ところで、本能寺の変後、秀吉と勝家が戦になった時、利家は勝家に味方します。利家は勝家の与力であるので、主命に背くわけにはいかないと、利家。
実は、勝家の元には利家とまつの三女まあが人質となっていました。そして、秀吉の元には養女として四女の豪姫がいます。
何としても秀吉と勝家の戦を止めたかったまつは、ねねと協力し秀吉を説得します。しかし、その甲斐なく秀吉と勝家は戦になります。利家は秀吉から離反し、勝家に味方します。
その戦に出ようとする利家にまつは、「まあのことは諦める、昔からきょうだい同様の秀吉殿とねね様に弓を引くようなことはしないでほしい」と必死になって止めます。
まつ:音無美紀子②利家まつ夫婦と秀吉ねね夫婦の友情
その後、勝家に大勝利した秀吉は、利家が立てこもる府中城を包囲します。
一人、府中城に入って来た秀吉に、利家は「筑前殿に離反仕ったこと、いかようにもご成敗受ける覚悟でござる」と言い府中城を秀吉に明け渡そうとします。
秀吉は、地面に正座し「犬千代様、藤吉郎にございます!この通り丸腰でござるぞ。」と言います。まつにも、「おまつ様、この度の事、さぞやお心を痛めておいででしょうなあ」と言葉をかけます。
まつは、「まあのことは諦めております。それよりも秀吉殿にお味方をすることの方が大事」と言います。
「おまあ様の命に代えての秀吉への合力、秀吉終生忘れませぬぞ。おまあ様はこの秀吉が必ずお救い致します。必ず!!」
利家の心情は複雑なものがいろいろあったと思います。ですが、「おんな太閤記」では秀吉ねね夫婦は利家まつ夫婦とは、深いところで強い絆で結ばれた「親友」関係にあるのだと思いました。
そんなふうに思わせてくれる場面が多い「おんな太閤記」が、とても好きです。
やや:浅茅陽子 秀吉に厳しいことをずけずけ言う
ところで、ねねの妹、ややは浅野家を継ぐべきねねが秀吉と結婚した為、浅野弥兵衛(のちの浅野長政)と結婚して浅野家を継ぎました。
ややは、当初から、秀吉に厳しいことをずけずけ言っていました。秀吉の姉ともが岐阜で秀吉とねねの家にいる時も、ねねをかばってわざと聞こえるように嫌味を言います。
口うるさいのですが、ねねが言えない事を言ってくれるので見ている方がスッキリすることもよくありました。
それはそうと、ここで、ややの発言がひど過ぎる3発言をご紹介します。
①まず、犬千代にまつという妻がいてねねがショックをうけるところ。
ややは藤吉郎に「もっと早く犬千代様に奥方がいること教えてくれなかったのじゃ!!お前様のせいじゃ、みんな藤吉郎殿のせいじゃ!!」と泣きながら藤吉郎を叩きます。
②それから、ねねが藤吉郎と結婚すると言った時。
「藤吉郎様など先の見込などおありにならぬ!足軽組頭が関の山じゃ!」
③そして、秀吉が長浜城主になってから。
信長の命に背き秀吉が切腹させられるかもしれないという事件が起こります。その時、ややは、秀吉一族が揃っているところで、
「秀吉殿はしょせん12万石の城主の器ではなかったのよ、それを思いあがったばっかりに!われらもとんだ憂き目を見ることになったわ」と言い放ったのです。ねねはややの頬をぶちました。
ややの剣幕と発言内容がすご過ぎて、目が離せなくなることもしばしばでした。(はなみ
徳川家康:フランキー堺 我慢強く「機を見るに敏」稀有な天下人
さて、最後の主要キャストのご紹介は徳川家康です。
徳川家康は私が特に好きな歴史上の人物の一人です。かなりの困難が多い人生なのに、我慢強く、かつ「機を見るに敏」であるところを尊敬します。
「おんな太閤記」では、大政所が人質となるところに、家康の我慢強さと状況や時節を見極めている場面があります。家臣の中には秀吉と戦をすることも辞さない勢いの者もいます。が、家康は、
「戦にしては今の領国保つこととておぼつかん。秀吉を甘く見ると手痛い目に遭うぞ、今は徳川を守る時。
たとえ秀吉の家臣となり一大名になり果てても、徳川の存続さえ全うすれば、必ずまた時節も来ようと言うもの。
秀吉に付くも一時。その間に徳川の力を養えばええこと。待つのよ。焦ってはならん」と言います。そして、家康は上洛し、秀吉に臣従します。
後年、この言葉通り、秀吉の死後関ケ原の戦い、大坂の陣を経て、天下は家康公の言葉通り、名実ともに豊臣から徳川へ。家康公は本当に見事な方です。
ところで、徳川家康公関連の別ブログもあります。ご覧頂けると嬉しいです。
1981年大河ドラマ「おんな太閤記」おすすめの場面
それでは、私が個人的に好きなおすすめの場面をいくつがご紹介します。今まで上記した主要キャストのご紹介と重なるところもありますが、お許しください。
・ねねと秀吉の出会いと婚礼、中村の母に挨拶に行く
・長浜城主夫人となったねね、実子ではないが多くの子供を愛しむ
・秀長としのの出会いと別れ、婚礼までの困難
・なかが長浜城で暮らそうと決意したのはねねを守るため
「おんな太閤記」はU-NEXTで全編一気に視聴できます!是非ご覧ください。
ねねと秀吉出会いと婚礼、中村の母に挨拶に行く-①
まず、最初は、ねねと秀吉の出会いです。
桶狭間の戦いの時、父浅野又右衛門負傷したことをきっかけにねねは、藤吉郎(豊臣秀吉)と犬千代(前田利家)に出会います。
藤吉郎は「清洲一の美女」と言われていたねねに惹かれていましたが、ねねは犬千代を好きになります。その後、藤吉郎は犬千代をダシにして、ケガをした父の見舞いを口実にねねの家に通います。
藤吉郎が「犬千代の見舞いの口実」をかなり大袈裟に言います。その上、妹のややが「犬千代様はお姉様を忘れるはずがない!」等、ねねの気持ちを盛り上げる発言も多いのです!
ねねはすっかりその気になってしまいます。しかし、信長の勘気に触れて浪人中だった犬千代が許された帰参の祝いに行った時、ねねは犬千代にはまつという妻がいることを知ります。
失恋したねね。かなりのショックでした。
その後、畑に出ていたねねに声をかけた藤吉郎。「ねね殿を見ているとおっか様を思い出す」とねねに昔語りを始めます。
ねねと秀吉出会いと婚礼、中村の母に挨拶に行く-②
さて、藤吉郎の話を聞いて、ねねの心は大きく動きました。
藤吉郎の人柄の温かさや人の情があるところ、苦労をしてきただけあって苦労に耐える強さがある、信じてついて行くことが出来る方と思ったを知り結婚を決意します。
「ねね殿となら一生畑仕事をしていたい」という藤吉郎。
藤吉郎の話を聞いていると、藤吉郎が武士だけでなく、商人の才能もかなりあるのではと思う頭の良さです。
しかし、この時のねねは藤吉郎の将来性や出世云々より、人として良い人、信じられる人と思ったねねは、結婚を決意します。
ねねと秀吉出会いと婚礼、中村の母に挨拶に行く-③
ところで、秀吉とねねの祝言の仲人は利家とまつでした。
そして、何と、信長がねねの顔を見に来ました。「藤吉郎が清洲一の美女を娶ったそうな、花嫁の顔を見に来た!」祝いの品まで持ってきました。
その後、ねねと藤吉郎は、中村の母に挨拶に行きます。その日はひどいどしゃ降りの雨でした。藤吉郎を見た途端、怒鳴りつける母のなか。
「何しに戻って来た?!足軽はやめたのか?!それともまだあのうつけの殿のぞうりを暖めておるのか?足軽をやめるまでは家の敷居はまたがせん!」と、えらい剣幕でどなるなか。
藤吉郎はねねと一緒になったことをなかに報告しました。ねねが挨拶すると、愛想なく会釈するなか。それからねねは、妹のきいと弟の小一郎にも出会います。
なかは、ねねだけ家に入れてくれました。
ねねと秀吉出会いと婚礼、中村の母に挨拶に行く-④
なかは、「戦ほど嫌なものはない!侍などにはなって欲しくなかった!なのに藤吉郎は!」ねねに愚痴を言います。
また、なかは、「お前様から藤吉郎に話して下さらんか?」と藤吉郎に侍をやめて百姓になるように説得して欲しいと言います。
しかし、ねねは、
「お言葉を返すようでございますが、民百姓が平穏な暮らしができるようにするには、戦に出ていかなければならない人もいるのです。藤吉郎様はその為にお働きになっているのです。」
と言います。
結婚して間もないのに、藤吉郎のことをよく理解しているねねでした。
ところで、ねねは将来「天下人の妻」になります。ですが、ねねの幸せそうな明るい顔は、秀吉が大名になるころにはだんだん減ってきます。
出世する度に苦労するねねと、辛い目に遭う秀吉の家族です。
「幸せ」とは何か?を考えさせられます。
長浜城主夫人となったねね。実子ではないが多くの子供を愛しむ
次は、ねねの「子供」のお話です。
ねねには生涯子供はいませんでした。
ですが、ねねの元には、養女の豪姫(宇喜多秀家の妻)、甥の孫七郎(関白秀次)と小吉(豊臣秀勝)、小姓の市(福島正則)、虎(加藤清正)、佐吉(石田三成)がいました。
松寿丸(黒田長政)や宇喜多秀家(五大老)も仲間に加わります。
長浜時代のねねは子供が多く嬉しそうでした。ねねが可愛がった子供たちをご紹介します。
市と虎はねねが中村になかを迎えに行った時、子供を奉公させたいと親が頼みに来ました。ねねが断っても、ねねの後に付いて来ます。結局、秀吉の小姓になります。
豪姫は前田利家まつ夫妻の四女で、子供のいないねねのために豪姫を養女にくれたのです。
松寿丸は、播磨攻略に向かった秀吉に小寺(黒田)官兵衛は人質として、7歳になる松寿丸を信長に、と差し出したのです。信長の命で松寿丸は秀吉が預かる事になり、長浜のねねの元にやってきました。
人質でも、ねねは松寿丸をわが子のようにかわいがり、信長が松寿丸を殺せと命じた時もその命に背きます。ねねは、責めを負う覚悟で松寿丸を匿うことを決意。
なかが密かに松寿丸を連れ出し中村の寺で匿いました。
そして、信長の四男於次丸ですが。
ねねは、於次丸と対面し大変気に入りました。後日、もてなしの礼に信長に会いに行った時、ねねはダメもとで信長に於次丸を養子に欲しいと頼みます。
信長はあっさりと承知してくれました。
秀長としの出会いと別れ、婚礼までの困難①身分違いで秀吉は大反対
さて、続いては、秀長としのが結ばれるまでの困難の物語です。
しのは、秀長たちが勝手が分からない山道で迷って難渋していた時に、助けてくれていろいろ面倒を見てくれた女性です。
その時のしのの心遣いが忘れられず、しのを生涯の伴侶に決めた秀長です。また、秀長は「しの殿は姉様に良く似ている」とも言っています。
そして、畑で菜を摘んでいるしのに、秀長は一緒に長浜に来て欲しいといいます。、
秀吉が第一回でねねに身の上話をして、ねねが秀吉と一緒になろうと決心した時も、ねねが畑仕事しているときでした。その時、秀吉は、「ねね殿はおっかさまに似ている」と言っていました。
ということは、しの=ねね=なか?豊臣兄弟の好みは「お母さん」なのでしょうか?
しのは足軽の娘なので、身分違いだと言いますが、自分も秀吉も百性だったと言う秀長です。
しかし、秀吉は秀長としのの結婚を許しません。しのの事で秀長と秀吉は大喧嘩します。「それほど好きなら側女にしろ」と言う秀吉に「わしは兄者とは違う!」と大激怒。
秀吉も、秀長の嫁は自分が決める勝手はさせない!と大激怒。二人は掴み合いの大喧嘩をします。」
結局、秀吉は自分と秀長の事は許さない、と悟ったしのは秀長に告げず黙って身を引きます。
秀長としの出会いと別れ、婚礼までの困難②目が見えなくなったしのとの再会
その後、三木城が秀吉の兵糧攻めで落ちました。三木城に入った秀長は兵糧攻めの為に目が見えなくなったしのと再会します。
秀長はずっとしのを思い続けていました。わしがそなたの目となり杖となる、わしのそばにいて欲しいとしのに言います。
しかし、しのは「秀長様の奥方になれるような女ではありません」自分は羽柴秀吉の敵、別所長治に仕えていた者、それに身分も違う、その上目が見えない、秀長の思いを受入れられない、と、しの。
けれど、秀長も引き下がりませんでした。そなたの他にわしの心を慰めてくれる者はおらん!
そして、ついに、秀長の強い愛情と熱意がしのに通じました。でも、秀吉は相変わらず二人の仲を許しません。
すでに城を預かる身分になっているのに、と秀吉が言うと、
「ならば城などいりません。迷惑じゃ。いざとなれば侍を捨て中村にいにます、それなら誰を娶ろうとご依存はありますまい。
しの殿には指一本ふれさせません、もし手をかけるようなことがあれば兄者とて容赦はしません」と秀長。すごい剣幕で強い覚悟を秀吉に示しました。
ねねとなかは、秀長としのの成り行きを心配し、二人で策を講じることにしました。
秀長としの出会いと別れ、婚礼までの困難③ねねとなかが二人を結ぶ
さて、久しぶりに秀吉が長浜に戻り、秀吉ねね夫婦の一族が揃った席です。
ねねは突然白無垢姿のしのを連れて来ました。あまりのことに仰天し怒りに震える秀吉。
なかは、「藤吉郎、見苦しいマネは許さんぞ!差出たことをすると親子の縁を切るでなも!」と言い放ちます。
さすがの秀吉もその場に座るしかなく、ねねとなかの策は成功し、二人は秀吉に圧勝しました。
無事、秀長としのは夫婦になれたのです。二人とも、全てはねねのおかげであると、ねねに感謝しました。
秀長は「終生、羽柴の家の為に働く」と、しのと一緒になれたことの喜びを、かみしめていました。
なかが長浜城で暮らす決意をしたのはねねを守るため-①
それはそうと、「おんな太閤記」のねねとなかは、本当に仲がよくお互いを思いやっています。
なかは臨終の時にねねに言います。「わしはねねさを嫁と思った事はなかった。娘じゃと。いや、娘以上じゃった」と。
秀吉よりもねねを大切にしていたなかですが、ずっと中村にいてねねが迎えに行っても、秀吉やねねの元には来ませんでした。
そんななかが、秀吉の初めての城長浜城に住むことになったきっかけは「秀吉の側室からねねを守るため」でした。
秀吉が長浜城になった時、秀吉の最初の側室千種と秀吉の子秀勝を長浜に呼びます。
そのことで大変ショックを受けたねねは人知れず城を去ろうとします。子供が出来ない自分が秀吉のそばにいることが間違いだったと。
そこに偶然なかがやって来ます。秀吉の城を見に来たのです。
「藤吉郎はわしのバカなせがれよ」となかが門番に言いながら、城の門をくぐろうとします。門番はまさか秀吉の母親と思いません。
城を見たら帰るとなかは言いますが、門番につまみ出されます。そこに城から出て行こうとするねねが通りかかります。「お母さま!」といってなかに泣き付くねね。
この場面は、ねねにとって大変かわいそうなところですが、なかと門番のやり取りがちょっと笑いを誘います。
なかが長浜城で暮らす決意をしたのはねねを守るため-②
それはそうと、千種の事を知ったなかは激怒し秀吉の頰を思い切り叩き、秀吉が倒れるほどでした。
なかは、ねねさほどの嫁が他にいるとはおもえぬ。と言って、出て行こうとするねねを説得します。なかと秀長に頭を下げられたねねは城を出るのを思いとどまります。
秀吉の側室千種はねねに偉そうな態度をとり、なかに注意されても口答えする始末です。
なかは千種に勝手なまねはさせられない、とねねに同情しねねを守るために、当分中村に帰らず長浜城にいることにします。
出来の悪い倅をもった因果なことよ!と言うなか。
なかからすれば、秀吉ほどの偉人でも出来の悪い倅になるのでしょうか?
なかのこのような性格は、秀吉が天下人になっても変わらず、そして、ねねの事もかわいがり大事にしていました。
1981年大河「おんな太閤記」ねね:佐久間良子・秀吉:西田敏行:まとめ
さて、今回は、10月17日に急逝された西田敏行さんの追悼の意味で、西田さんが豊臣秀吉を演じた、1981年大河ドラマ「おんな太閤記」をご紹介しました。
昔の作品ですが、何度見ても面白く次が見たくなる名作だと、改めて感じました。
また、2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公豊臣秀長の活躍場面も多いです。「豊臣兄弟!」放送前にご覧になると、より一層「豊臣兄弟!」が楽しみになります。
今回のブログでご紹介した作品は、U-NEXTで視聴することができます。是非お楽しみください。
このブログが読んで下さった方のお役に立てましたら幸いです。